住所;佐久市臼田町田口字田中
アクセス;JR小海線臼田駅〜徒歩
文化財:国史跡
龍岡城五稜郭は、函館とともに日本に2つしかない五つの稜が星形に突き出た洋式城郭です。函館の五稜郭に3年遅れ、慶応3年(1867年)に藩主松平乗謨(まつだいらのりかた)によって築かれました。
乗謨は、五稜郭の築城に見られるように、洋学を積極的に取り入れたほか崩壊間近の幕閣にあって、老中格・陸軍総裁の要職にありました。また、明治に入ると、佐野常民(さのつねたみ)とともに博愛社(現在の赤十字社)の設立に尽力しています。
五稜郭は、実戦上、きわめて優れた城郭で、敵からの死角をなくすことができるという、守るに易く攻めるに難しい構造をもっていました。
明治4年(1871年)、明治政府が全国の城郭の取り壊しを命じたことから、龍岡城五稜郭もそのほとんどが取り壊されてしまいました。しかしながら、御殿の一部である御台所(おだいどころ)だけは、学校としての使用申請が認められたため、現在でも当時を知る唯一の遺構として残されています。(佐久市HPより)
私的満足度「★★」:ここも桜の名所とされていますが、惜しくも1週間早かったですね。ほど近い所にある新海三社神社の三重塔と併せて鑑賞すると良いところです。
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