住所;長野県須坂市須坂 アクセス;長野電鉄長野線須坂駅〜徒歩約15分 須坂藩は、堀秀政の家老であった堀直政に始まる。堀直政は元々奥田直政といっていたが、秀政より堀姓を与えられた。立藩したのは堀直政の四男・堀直重である。直重を祖とする分家で、関ヶ原の戦いの軍功で下総国香取郡に2千石の知行を与えられ、同年信濃高井郡において6千石の加増され、大坂の陣の働きにより4千石加増され、諸侯に列したのが始まりである。 二代藩主直升の時、三人の弟に2千石分知してからは1万石で、14代続いて直明の時、明治維新を迎えた。 明治初年に陣屋址の一部に奥田神社が建立され現在に至っている。神社の近くでは陣屋の石垣が現存し、須坂市立須坂小学校北側に、鐘楼が神社の南側にある。 奥付門(市内大字須坂の酒造店に長屋門が)移築現存し、鐘楼、藩士長屋が現存している。(現地案内板より) 私的満足度「★」:ここも遺構はほとんどありません。 |