18福井県 幸若遺跡 庭園



住所: 福井県敦賀市三島町2丁目 MAP

アクセス:JR敦賀駅〜バス

文化財:市指定名勝

幸若とは室町中期、幼名を幸若丸と称した桃井直詮の創始になる曲舞ないしその家系である。越前、朝倉孝景に保護され、その子孫が丹生郡西田中に住み、江戸時代には将軍家の保護を受け、儀式の時にのみ奉仕していた。敦賀には諸鶴太夫という舞々がおり、その子長次郎が承応元年(1652年)に若死し断絶した。このため万治3年(1660年)に西田中の幸若家から分家した久次郎に元諸鶴太夫領100石があてがわれ、延宝5年(1677年)に敦賀に来住した。

敦賀幸若の屋敷は当初三ノ丸(三島町1丁目)にあったが、宝暦9年(1759年)に若狭街道沿いの地(三島町2丁目)に移転した。この屋敷の幸若庭園は格式を重んじた武家屋敷の庭園として築庭され、天筒山を借景とした江戸中期の回遊式築山林泉庭園である。指定面積1370平方メートル。

池には蓬莱島を設けて石橋を架け、亀山を配し、築山のふもとに沿って小道を設けるなどして、雄大閑雅な昔の面影をとどめている。

なお、この庭を含めた幸若屋敷図も残っており、市の文化財に指定されている。(敦賀市HPより)

私的満足度「★★」:見つからなくてぐるぐると近所を探しまくったら、なんと天理教の建物内にありました。お庭としてはあまり感動しませんでした。




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