所在地:福井県福井市中央1丁目 アクセス:JR北陸本線富山駅〜徒歩 北の庄の地には、黒丸城主朝倉貞景の次男頼景が居館を築いて以来、天正元年の一乗谷の朝倉義景滅亡と同じくして北の庄朝倉氏も断絶した。天正3年、越前一向一揆を平定した織田信長は、柴田勝家に越前8郡49万石を与え、越後の上杉謙信に対峙させた。勝家は、入封早々から北の庄城を築城した。しかし、僅か9年後の天正11年、賤ヶ岳の合戦に敗れ北の庄城も落城、勝家はお市の方共々自刃して果てた。慶長5年、結城秀康が越前国主としてより入封、新城(福井城)を築城して北の庄城は消滅した。 私的満足度「★」:あまり大したものは残ってません。柴田神社と一体化しえいます。堀跡らしきものと銅像をみるだけです。 平成29年9月再訪。写真差し替え。 |