15新潟県 清水園

フレーム

所在地:新潟県新発田市大栄町
アクセス:JR白新線・新発田駅〜徒歩
形式・作庭:池泉廻遊式庭園、縣宗知
文化財:国指定名勝

 屏風のようにそびえ立つ二王子岳。その背後から端麗な姿をのぞかせる飯豊連峰。つらなる山並みを東にあおぐ、通称・阿賀北(阿賀野川北部)に10万石の城下町・新発田はあります。初夏はあざやかな緑、秋には稲穂の黄金色にそまる、水田にかこまれた静かな田園都市です。 こうした美しい水田は、江戸初期以降、農地づくりに励んだ先人たちの豊かなる遺産でもあります。近世の新発田は、慶長3年(1598)に加賀大聖寺から6万石で領地に入った、溝口秀勝から始まります。秀勝を藩祖とする新発田藩は、12代直正の時代に廃藩置県を迎えるまで、274年間にわたり溝口家に統治されてきました。
 慶長15年(1610)には沢海藩が分家されて表高は5万石になり、250年後の満廷元年(1860)には、幕府の海防体制を担うとして10万石に。3代宣直の時代になると幕藩体制が確立され、藩主の権力は安定していきました。 一方、藩をあげて取り組んでいた新田開発もおおいに進みます。藩財政も充実し、庶民の生活にもゆとりが生まれ、人々の意識はさまざまな方向へ発展しました。そんな新発田藩の溝口家下屋敷(敷地4,600坪=15,180)は、宣直の寛文6年(1666)に棟上げされ、4代重雄の元禄6年(1693)に完成。重雄の時代には、遠州流の茶人で幕府庭方であった縣宗知が江戸から招かれ、庭園もつくられました。
 清新な気風がみなぎった、江戸の元禄文化の舞台はここ越後の新発田にもととのい、藩主や家臣らを茶の湯や能楽の世界へ誘うことになります。このように、地方分化の機運を大きくかもし出した清水谷御殿でしたが、時の移ろいとともに役目が落ち着き、明治24年、越後屈指の大地主、沢海村の伊藤家の所有に。昭和21年には北方文化博物館が管理するところとなり、「清水園」として、現在も往時の文化を伝えています。ここ「清水園」の庭園は、越後路から東北にかけて、ほかに類を見ない名園といわれています。京風の庭の中心に、草書体の「水」の字をえがく大池泉を配し、その周囲に茶室を配した池泉廻遊式庭園は、まさに10万石大名の下屋敷にふさわしいものです。
南西部の岩島や南東の岩島(亀島)、北西部の中島など架かる石橋。南部には2段落の滝石組、下部には飛石が打たれ、沢渡りの形で廻遊路が結ばれています。東部中央に突き出す洲浜は、新磯の浜の意匠。西端に岬燈篭。近江八景をとり入れた庭園は、巧みな遠近法を見せてくれます。
庭石を多くは使わない江戸初期の特長をもつ庭園ながら、茶席松月亭前の舟着場の石組、腰掛待合前の舟着場の立石などの構図の妙はみごと。技術的には桂離宮、要素的には苔寺(西方寺)といわれるゆえんです。
また、庭園を囲むようにそびえる薩摩杉、庭内の青森ツガは、この地では珍しい樹木。当時の流通の様子を伝えるものであり、希少な樹によって格式をあげようとしたことがうかがえます。 (清水園HPより)


私的満足度「★★」:新発田はお城もお庭も良い感じです。


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