15新潟県 国上寺(および五合庵)



所在地:新潟県燕市国上1407番地

アクセス:燕三条駅~タクシー

文化財:五合庵(県指定文化財)

 

国上山国上寺で「くがみさん こくじょうじ」と読みます。

新潟県燕市国上に位置します当山は、元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された、越後最古の古刹です。格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。
 御本尊は上品上生の阿弥陀如来であり、縁起等によれば、行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられ、現在は、子年(12年に1度)の開帳としています。

<良寛と五合庵(写真下)>

18歳で出家してから尼瀬の光照寺、備中の円通寺で修行。円通寺の国仙和尚が亡くなってからは中国・四国・近畿地方を行脚し、大徳のあるところを訪ねて業を重ねました。
 京都に滞在中の父親が桂川に身を投げて自殺した後、越後に帰ってきました。良寛38歳の時です。
 越後に帰った良寛は、寺泊の照明寺、野積の西生寺・・・等々約10年間処定を定めずに居を移していたのです。
 文化元年(1804年)47歳の時に当山内にある五合庵に定住することとなりました。それは即ち五合庵に住んでおられた国上寺の前住職義苗和尚が亡くなられたからです。思えば出家してから30年間、永い漂泊の旅からやっと安住の地を得てほっとしたのでしょう。
 「いざここに 我が身は老いん 足びきの 国上の山の 松の下いほ」と詠んでいます。
その後、乙子神社の草庵に10年住まわれ、さらに島崎の木村元右衛門の小舎に移り、天保2年正月、74歳で亡くなられました。墓は同村隆泉寺に建てられています。
 良寛は越後に帰ってから、晩年島崎に移るまで、約30年国上にいたので、今日残っている多くの詩や歌や書は大部分が国上山に住まわれていた時代の作です。
 現在五合庵は新潟教育委員会により県の文化財に指定され、永久に保存することとなっています。
(国上寺HPより)

私的満足度「★★」:前々から五合庵に行ってみたかったので燕三条駅の「駅から観タくん」を利用して訪問です。乗車したときは曇りだったのですが、到着時にはどしゃぶりに。国上寺から五合庵までは、徒歩10分ほどなのですが、途中の石階段がツルツルで結構苦労しました。雨で誰もいない五合庵で一人良寛さんに思いをはせて良い感じでした。御朱印もらうときに住職とお話をしたのですが、ここは越後三十三観音の21番札所とのことで、季節の良いときに全部回ってみたいなと思いました。



   


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