所在地:新潟県南魚沼市上野267
アクセス:JR石打駅〜徒歩
形式・作庭:枯山水、池泉観賞式庭園
文化財:
当山は最上山関興寺といい、宗旨は臨済宗(禅宗)で鎌倉の円覚寺派に属す。本尊は釈迦牟尼佛。
開創は応永17年(1410年)で覚翁祖伝和尚が開基す。覚翁は上杉憲顕の子、駿河に生まれ、諸方を偏参後、白崖宝生和尚に散じて嗣法、上山の地に一宇を建て、白崖和尚を請じて開山とし自らその次位となる。
二世不蔵和尚の頃上田長尾氏、鎌倉公方足利持氏の帰依厚く永享8年(1436年)寺領永楽百二十貫文並びに境内山林一里余りの御朱印地を給せらる。三世在天和尚に至り長尾房景及び上杉房定伽藍を修築し幾多の寄進をなし、法道もまた興隆する。永正9年(1512年)兵火のため諸堂焼失、翌10年長尾房長僧堂を建立、天正6年(1578年)上杉氏家督相続争乱(御館の乱)により一山焼土と化す。
天正14年(1586年)上杉景勝諸堂再建旧に復したが文禄3年(1594年)祝融の災に遇う。寺運次第に衰退して振わず。慶長5年(1600年)上杉景勝米沢に移封せれるや第三十二世東岩和尚これに従い米沢に新たに関興庵を建立した。
寛永6年(1629年)4度目の火災により、寺門の衰退はその極に達した。寛文年中に米沢の地より現在地(南魚沼市上野)に寺を移し、万源和尚(のちの建長寺185世住持)をむかえ末寺嘉祥庵を改め関興寺となした。その後漸く寺運回復して現在に至る。
関興寺の味噌なめたか:古来、禅院の生活は枯淡であり食事も質素で味噌は禅院の生活に欠かせないとあって、寺では修行僧のため沢山の味噌を作り貯えていた。天正6年(1578年)上杉謙信の没後、景勝・景虎二子による家督相続争いの合戦(御館[オタテ]の乱)がおこり、その兵火のため諸堂が焼失した。
その折、時の住職・雨天是鑑和尚は上杉氏より寄進された大般若経六百巻を味噌桶の中に埋めるように修行僧に命じて、火災から大切な経本を守った。以来、この味噌をいただくものは大般若経のご利益にあずかり福徳が授かることができると言いはやされるようになり、「関興寺の味噌なめたか」との言葉がうまれたと伝えられています。
現在でも関興寺にお参り頂ければ、どなたでも「関興寺味噌」を味わうことができます。また、加護料を五百円を添えて頂ければお分けいたします。(関興寺HPより)
私的満足度「★★★」:庭が綺麗との事前情報はあったのですが、わざわざ行くほどの所ではと思っていました。その思いを大いに裏切り素晴らしいお庭でした。「味噌なめたか」の情報はサイトで検索できるのですが、お庭の情報が全く無いのが不思議です。
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