住所:佐渡市相川広間町
アクセス:両津港〜バス
文化財:国指定史跡
慶長8〜9年 (1603〜1604)にかけ、大久保長安は、鶴子にあった陣屋を現在の相川上町台地の先端へ移しました。これは、相川の鉱脈が優秀であったこと、沢に挟まれた天然の要害という地形、また相川の海が一望できるという立地条件から物資の輸送や町づくりに好都合であったためと考えられています。
最初の頃は佐渡奉行所という呼称ではなく相川陣屋や石見陣屋と呼ばれ、元和4年(1618)の幕府職制改正に基づき佐渡代官が佐渡奉行へと変更となった頃から佐渡奉行所と呼ばれるようになりました。敷地内には御米蔵のほかに、運上金銀保管目的の御運上蔵(御金蔵)、油蔵・材木蔵・煙硝蔵からなる御雑蔵、銀の精錬に使用する鉛蔵などがあり、他の奉行所とは違った鉱山管理の特性も持っていました。また、元和7年(1621)に小判を鋳造するための後藤役所が造られ、宝暦9年(1759)には町内に散在していた選鉱・精錬工程をまとめた施設である寄勝場が建てられています。
なお、佐渡奉行所は江戸時代に、正保4年(1647)、寛延元年(1748)、寛政10年(1799)、天保5年(1834)、安政5年(1858)と5度の火災にあいましたが、その都度再建されました。安政6年に再建された建物の大部分が昭和17年(1942)の焼失まで残っており、明治維新後は、佐渡県・相川県・佐渡郡役所などの行政庁舎として使用されました。(佐渡市HPより)
私的満足度「★★」:真新しく、いかにも観光用に作りましたという感じですが、町から長い階段を登って訪れると、いかにもこうした所に作りそうといった場所でした。訪問日当日は「相川天領通り祭り」の日で屋台とか多く出てました。
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