所在地:神奈川県厚木市下荻野251外
アクセス:小田急線本厚木駅〜バス
文化財:厚木市史跡
現在の下荻野字山中には、荻野山中藩(おぎのやまなかはん)大久保家の陣屋(じんや)がありました。この大久保家は、相模国愛甲郡中荻野村を中心として、合計一万三千石を領した小さな大名でした。初代の大窪教寛(のりひろ)は、小田原藩主大久保忠朝の次男で、元禄11年(1698)、相模国足柄上郡、駿河国駿東郡内の新開地六千石を分けられ、分家しました。宝永3年(1706)駿河国駿河駿東郡、富士郡に五千石の加増を受けて一万一千石の大名となり、更に享保3年(1718)には、相模国大住郡、高座郡、愛甲郡内に五千石の加増を受け、総計一万六千石となります。この頃、陣屋が駿河国駿東郡松永(現・静岡県沼津市)に置かれたようです。2代教端(のりまさ)の時、弟に三千石を分けて、大久保家は一万三千石となり、明治維新に至ることになります。
天明3年(1783)頃、5代教翅(のりのぶ)は、陣屋を松永からこの地に移し、以後、荻野山中藩と呼ばれるようになりました。その後、教翅から教義(のりよし)に至る三代、80余年間に渡って存在したこの陣屋は、慶応3年(1867)12月、幕末の騒乱の中で、討幕派の浪士たちの襲撃によって一夜にして焼失してしまいました。この事件は、やがて京都の鳥羽・伏見の戦いの一つの原因となりました。
荻野山中藩は明治4年7月に廃藩、厚木市内の旧領は荻野山中県、足柄県を経て神奈川県に編入され、陣屋跡は民間に払い下げられました。現在、厚木市指定史跡として保存が図られています。(厚木市HPより)
私的満足度「★」:七沢温泉に行った帰りに寄ってみましたが、特段の遺構はありませんでした。
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