14神奈川県 衣笠城

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住所;神奈川県横須賀市衣笠町
アクセス;JR衣笠井駅〜徒歩
文化財:市史跡

衣笠城は前九年の役で戦功を立てた村岡平太夫為通が、源頼義から三浦郷を与えられ三浦氏を名乗り、1058〜65年(康平年間)に築いたと伝えられ、以後7代泰村まで、約184年間にわたり三浦一族の本城となった。
1180年(治承4)8月源頼朝が伊豆で挙兵すると、義澄は頼朝と合流する為に石橋山へ向かうが、氾濫する丸子川(現酒匂川)に拒まれ合戦に間に合う事が出来ず、頼朝の敗北を知り引き返した。途中鎌倉で当時平家方であった畠山重忠と対陣するが、重忠は義澄の父義明の外孫であった事もあり両者は和睦し義澄は衣笠へ帰城した。しかし2日後重忠は3千騎を率い衣笠城へ押し寄せる。三浦一族は城を抜け久里浜から船出し、海上で頼朝と合流して安房に上陸したが、89歳の老齢であった義明は一人城に残り討死した。
その後頼朝により鎌倉幕府が開かれると三浦一族は要職を占めた。しかし頼朝の死後、執権北条氏との対立が次第に深まるようになり、この頃衣笠城を中心とし、神金城・小矢部城・奴田城等の支城が整備されたと考えられる。これに対し北条氏も名越切通や名越切岸等、鎌倉城南部の守りを固めている。
1247年(宝治1)三浦一族は5代執権北条時頼に滅ぼされるが、この時佐原盛時は時頼に従った為、三浦介を継いで三浦の命脈を保ち、新井城を築いて三浦半島南部を領地としている。(現地案内板より)

私的満足度「★」:「三浦一党出陣旗揚げの地」ののぼり旗が勇ましいです。桜名所100選に選ばれていて桜祭りをやっていました。



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