所在地:神奈川県鎌倉市二階堂154 アクセス:鎌倉駅から徒歩 大塔宮・護良親王は後醍醐天皇の第三皇子です。元弘の変が起きると、後醍醐天皇を援けて吉野、熊野等で鎌倉幕府討幕運動の中心として、活躍しました。鎌倉では足利直義のもと、東光寺の土牢に幽閉された。建武二年(1335)に、北条高時の遺児・時行が鎌倉へ乱入する、中先代の乱で、足利直義が背走する時に、護良親王を殺害しました。その首は藪の中に捨てられ、その首を葬ったのが理智光寺の住職だった。 「鎌倉宮」の名前天皇が自らつけられた。護良親王の墓は、その理智光寺跡の谷にあり、宮内庁が管理しています。急な石段を登った山頂に、石垣で囲まれた中にお墓があります。(現地案内板等より) 私的満足度「★★★」:荏柄天神社のそばにあります。正直こんなに立派なお宮とは思っていませんでしたし、鎌倉宮域のバスが20分おきに出ていることにも驚きです。 |