所在地:新宿区西早稲田3丁目5番43号
アクセス:早稲田駅~徒歩
水稲荷神社は、『江戸名所図会』に描かれた当時、「高田稲荷」とよばれていました。
中央付近の小高い丘の上にあるのが、水稲荷神社(高田稲荷)で、ここは現在の早稲田大学9号館裏のあたりです。右上の山は、高田富士で、水稲荷神社(高田稲荷)とともに、昭和38年(1963)に西早稲田3丁目の現在地に移転しました。
堀部安兵衛助太刀の場所の碑
元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切り倒した。この果し合いの場所は、現在の西北診療所のあたりといわれています。
この決闘で助太刀をした安兵衛の活躍が江戸中で評判になり、後に講談や芝居の題材となりました。安兵衛は、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹後、終始あだ討ち推進派として活躍。元禄十五年吉良邸に討ち入ったその功績が称えられ、明治四十三年(1910)に安兵衛の石碑が旧高田馬場、現在の茶屋町通りの一隅に建立されました。その後、昭和四十六年に現在の水稲荷神社の現在の場所に移されました。(早稲田水稲神社HPより)
・雑感:かつて庭園の写真を査定に来た甘泉園に隣接しています。本殿左脇に富士塚がありました(写真右下)。
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