住所;東京都練馬区石神井台一丁目
アクセス;西武新宿線石神井公園駅〜徒歩
築城時期は定かではないが、平安後期から鎌倉時代にかけて、武蔵南部に力を及ぼしていた豊嶋氏の関連城館であった。文明八(1476)年、長尾景春が武蔵鉢形城で関東管領上杉氏に対して挙兵(長尾景春の乱)すると、それに呼応して豊嶋氏は文明九(1477)年、練馬城・石神井城などで挙兵、当時扇谷上杉氏の家宰として名を馳せていた太田道灌の居城・江戸城と扇谷上杉氏の居城・川越城を分断した。道灌は江戸城の守備を固めると四月十三日、豊島泰明の平塚城を攻めた。豊島泰経は石神井城・練馬城から援兵を出したが、翌十四日、江古田原・沼袋原で太田軍と闘って泰明は戦死、豊島軍は大敗した(江古田・沼袋合戦)。泰経は石神井城に敗走し立て籠もるが、道灌の攻撃に泰経は四月十八日、石神井城の破却を条件に和議交渉を行った。しかし泰経は開城をせず、逆に石神井城の守りを固めようとしたため、四月二十八日、道灌の力攻めに遭い落城、泰経と残党は平塚城に敗走した。豊嶋氏の敗走後は廃城となった。(現地案内板等より)
私的満足度「★」:駅から城跡に行く途中の石神井公園が桜の名所でもあるので、桜の時期に合わせて訪問です。城跡としてはどうということないのですが、途中の高級住宅地と桜並木が好印象でした。
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