13東京都 毛利庭園

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住所;港区六本木6丁目
アクセス;六本木駅〜徒歩
形式・作庭:池泉回遊式庭園
文化財:

庭園の歴史は、およそ350年前の江戸時代に遡ります。
慶安3年(1650年)、毛利元就の孫、秀元が甲斐守となり、麻布日ヶ窪の地(現在の六本木六丁目他)に上屋敷を設け、その大名屋敷の庭園として誕生します。
その後、元禄15年(1702年)、吉良邸討ち入り後、赤穂浪士岡島八十右衛門ら10人が毛利家に預けられました(細川、毛利、松平、水野の四家に分けて預けられる)。翌年2月、全員がこの地で武士の本懐を遂げました。
嘉永12年(1849年)、のちに明治時代の陸軍大将となる「乃木希典」が、長府藩上屋敷の侍屋敷に希次の三男として生まれ、幼年期9年をこの「日ヶ窪屋敷」で過ごしました。
元治2年(1865年)、堀田相模守がこの日ヶ窪屋敷を拝領します。
時代は変わり、明治20年(1887年)、中央大学の創始者であり、弁護士、法学者、法学博士でもあった「増島六一郎」氏(1857?1948年)が自邸として当地を取得し、その庭園を「芳暉園」と名付けました。
大正8年(1919年)4月、「乃木大将誕生地」として、旧跡指定(現東京都旧跡)を受けます。
昭和18年3月、「毛利甲斐守邸跡」として旧跡指定(現東京都旧跡)を受けます。昭和27年3月にはニッカウヰスキーの東京工場となり、昭和52年には、テレビ朝日が当地を取得。池はニッカ池と通称されていました。
その後、平成10年に六本木六丁目地区市街地再開発組合が設立され、平成12年4月に、再開発事業の着工。 平成15年4月に「六本木ヒルズ」がオープンし、現在の「毛利庭園」として誕生しました。(六本木ヒルズHPより)

私的満足度「★★」:テレ朝前の広場です。ここからさくら坂(写真右下)にかけて散歩すると自分がお金持ちになったかのような錯覚を覚えます。



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