所在地:東京都港区白金台1-1-1 アクセス:地下鉄南北線・三田線「白金台駅」〜徒歩 形式・作庭:池泉回遊式庭園 東京白金台の自然の丘陵と小川跡を利用してつくられた八芳園は、樹齢数百年の樹木や渡り鳥の姿等を見ることのできる由緒ある日本庭園です。 いま八芳園のある白金台は、江戸時代初期には、徳川家康の側臣の一人、大久保彦左衛門の屋敷であったと言われています。彦左衛門の逸話は『大久保武蔵鐙』や『名将言行録』など多くの書で伝えられています。大久保彦左衛門の後、現在の八芳園所在地に誰が住んだのかは残念ながらわかっていません。幕末の白金の絵図により、1846(弘北3)年には島津式部の抱屋敷、1854嘉永7、安政元)年には松平薩摩守の下屋敷であったことがかろうじて確認できるのみで、それ以前の居住者は全くの不明です。そして明治の末にはいまの八芳園の地を実業家渋沢喜作(1838〜1912年)が所有し、老居の地と考え居を構えました。その後、白金台がにぎわいをみせる様になり、騒がしくなったと、1915(大正4年)、喜作はここを売りに出します。そこに目をつけたのが当時、実業界に世人瞠目の手腕を振るっていた久原房之助です。久原はこの地を購入した当初から、自然の地形を生かした大庭園構想を密かに持っていたようです。土地購入後まもなく、付近の土地を次々に買い集めています。敷地を拡大した久原は、1万2千坪(約400万平方メートル)へと拡張。かけがえのない静寂とともに大庭園構想に必要な庭地も手に入れました。さらに、年々各地からの大小の名木や名石が集められました。なかには、1000年以上昔の作と伝わる国宝級の古代朝鮮の仏塔や、鎌倉時代の十三重の石塔などの逸品がありました。自然の持つ無駄と人工的なものを取り除くだけで十分だ、と久原は常々「自分は庭づくりなどという大それたことはしない。自然を整えるのだ」と言っていました。このため庭師などにもたとえば松の枝一本であっても自由にさせなかったといいます。 こうした久原の丹精のお陰で、この庭地は東京都心にありながら、別天地のような自然の美しさを保ち続け、戦時中の度重なる空襲にも大きな被害を受けず、戦後の新しい時代を迎えることになるのです。(八芳園HPより) 私的満足度「★★」:東京のホテル・結婚式場としては椿山荘と並んで最上級の庭園だと思います。 |