所在地:東京都文京区関口2-10-8 アクセス:地下鉄江戸川橋駅〜徒歩 形式・作庭:林泉回遊式庭園、岩本勝五郎 文化財: 江戸時代:椿山荘の周辺(東京都西北部目白台)は、南北朝のころ から椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれてい ました。江戸時代初期には、神田上水の水役として出府した松尾芭蕉が、深川芭蕉庵に移るまでの4年間、椿山荘に隣接する関口竜隠庵(のちに関口芭蕉庵)に住んでいました。安政4年(1857年)の切絵図によると、現在の椿山荘の敷地は、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷で あったことがわかります。 明治:山縣有朋が明治11年(1878年)に私財を投じて「つばきやま」を購入し「椿山荘」と命名します。山縣は明治天皇をはじめとする当時の政財界の重鎮を招き、椿山荘で国政を動かす重要な会議を開いていたようです。 大正・戦前:大正7年には、当時関西財界で主導的地位を占めていた藤田組の二代目当主「藤田平太郎男爵」が、名園をありのまま残したいと言う山縣有朋の意志を受け継ぎました。しかし、昭和20年の空襲で、山縣公爵の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまいました。幸い丘の木立に囲まれた三重塔は焼失を免れ、今もその曲線を空に映しています 昭和:昭和23年(1948年)、藤田鉱業(旧藤田組)から藤田興業の所有となります。藤田興業の創業者となった小川栄一は「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」の思想の下に、一万有余の樹木を移植し、名園椿山荘の復興に着手します。昭和27年11月11日、ようやく完成した椿山荘で盛大な披露パーティが行われました。以来結婚式場の名門として、また大小宴会や日本を代表するガーデンレストランとしてたくさんのご利用をいただいています。(椿山荘HPより) 私的満足度「★★」:無鄰菴(京都)、古稀庵(こきあん)(小田原板橋)とあわせ、山縣三名園と称せられるそうです。(21.1.3記) 私的満足度「★★」:桜の時期の写真を撮りに来ました。周囲の神田川沿いの桜もすごかったです。(23.4.3記) |