所在地:千葉県勝浦市浜勝浦(八幡岬公園)
アクセス:JR勝浦駅~徒歩
勝浦城は、将門の乱の参謀格興世王が砦を築いたあとで、鎌倉時代には上総広常の支城となった。
天文11年(1541)の頃、勝浦正木氏の初代正木時忠が入城、それ以前は真里谷武田氏の砦のようなものであったろうと言われている。その後、2代時通、3代頼忠の居城となる。しかし、天正18年(1590)、豊臣秀吉により安房里見氏が領地の一部を没収されると、里見氏と親交のあった勝浦城主正木頼忠も城を明け渡し、安房に逃れた。
勝浦周辺には、「お万布晒し」の伝説がある。天正18年(1590)、後北条氏が秀吉に攻略され、滅亡すると、勝浦城も本多忠勝や植村泰忠らの軍勢に攻められて落城した。この時、城主正木頼忠の14歳の息女お万は、炎上する城を後に、母と幼い弟を連れて八幡岬の東側40mの断崖に白い布を垂らして海に下り、小舟で館山方面(伊豆に逃れたともいう)に逃れたというのである。お万は、のちに家康の室となり、「養珠夫人」と称され、紀伊徳川頼宣、
水戸徳川頼房の2子を産んだ。つまり、水戸光圀はお万の孫に当る。(現地説明板等より)
私的満足度「★★」:勝浦の駅からとぼとぼ20分くらい歩くと八幡岬の公園に到着します。三方海に囲まれた絶景です。城の遺構らしきものは無いのですが、絶景で来た甲斐ありました。
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