所在地:千葉県館山市大神宮589番地
アクセス:JR館山駅〜バス
■ 神代
安房神社の創始は、今から2670年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。
その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。 この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります。
■ 奈良時代
時代が下り養老元年(717年)になると、吾谷山(あづちやま)の麓である現在の場所に安房神社が遷座され、それに伴い、天富命と天忍日命をお祭りする「下の宮」の社殿も併せて造営されました。
■ 平安時代
平安時代には、『延喜式』の「神名帳」に記載された式内社(しきないしゃ)となり、その中でも特に霊験著しい名神大社(みょうじんたいしゃ)として、国家から手厚い祭祀を受けておりました。またこの時代には、「安房国一之宮」としても、広く一般庶民からの崇敬も集めています。因みに現在においても、安房国の一之宮で有ることには変りありません。
■ 近代・現代
明治時代になると、新たな社格制度が制定され、当社は「官幣大社」(かんぺいたいしゃ)という最高位の社格を賜り、昭和20年の大東亜戦争(太平洋戦争)終結まで、国家の管理下に置かれることとなっていました。 しかし終戦時に、GHQによる「神道指令」によって、当社を含め、それまでの社格制度は全て廃止されてしまいます。昭和21年には、戦後発足した神社本庁(じんじゃほんちょう=全国の大多数の神社を包括する団体)によって、神社の由緒や活動状況を考慮して、特に優れたお宮に定められる「別表神社」(べっぴょうじんじゃ)の指定を受けることとなりました。それ以降、氏子の皆様は勿論のこと、日本全国の多くの崇敬者の皆様に支えられて、現在に至っております。(安房神社HPより)
私的満足度「★★」:バスでくると不便です。車に乗せてもらってのお参りになりました。荘厳な参道と桜並木があり、いかにもパワースポット的な立派な神社です。古い歴史のある神社ですが、本殿は2009年平成の大修繕による御洒落な建物になっていました。
|