11埼玉県 能仁寺 庭園

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所在地:埼玉県飯能市飯能1329 
アクセス:西武池袋線飯能駅〜バス
形式・作庭:池泉鑑賞蓬莱庭園
文化財:

・室町中期文亀元年 (1501年)、飯能の武将中山家勝が名僧斧屋文達師を招いて小庵を結んだのが始まりとされており、家勝の子家範が父の冥福を祈るために寺院を創建した。
・家範の子照守は徳川家康に引き立てられ、徳川家康の庇護のもと多くの雲水をかかえる寺院に発展した。
・中山家範没後百年ほど経って、老朽化してきた寺堂を再建したのは黒田直邦である。徳川綱吉の館林時代の家老職であった直邦は、十三世住職泰州廣基と供に、将軍家の後ろ盾により、宝永二年に山門、大殿、庫裡と改修を行い、伽藍を完成させた。また、今も本堂正面に修飾されている。
・武陽山、能仁寺の扁額は将軍の命により。元禄十年 (1697年) 天台座主公辨一品親王が筆をとったものである。
・ 明治維新時の飯能を舞台とする 「飯能戦争」 では、幕臣の一部で結成された彰義隊の頭取であった渋沢誠一郎は内部対立のため振武軍を結成し、能仁寺を本陣とした。慶応四年 (1868年) に官軍の一方的な攻撃により敗走、多くの民家や本陣であった能仁寺も焼失し、本堂は昭和十一年に再建された。その後五十一年より、復興を続け現在では、山門、位牌堂、大書院、鐘楼、大庫院が完成しております。
・ 能仁寺本堂北庭として保存されている 『池泉鑑賞蓬莱庭園』。面積は324坪。
・ 天覧山の南急斜面を巧みに取り入れて、背後に枯滝を組み、下部を池泉とした上下二段式庭園の典型的なもの。築山、亀島、鶴島、石橋、洞窟などを備え、池は底部が全て20cm前後の玉石で固められるなど幾多の傑出した手法や造形を見せていることで桃山時代の作庭と推定され、日本名園百選に入っており、東日本の代表的な名園として、貴重な存在であるとともに、飯能の文化財としても誇れるものの一つである。(能仁寺HPより)

私的満足度「★★」:はるばる飯能までやって来ました。関東にもこんな見事なお庭がと驚きです。


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