住所;さいたま市岩槻区太田3−4他
アクセス;東武野田線岩槻駅〜徒歩
室町時代の後期に築城されたともいわれる岩槻城は、台地を利用した平城(ひらじろ)で、主郭部、その北の新正寺曲輪、南の新曲輪・鍛冶曲輪がそれぞれ別個の台地上にあり、その間には深い沼地が広がっていました。
広大な城郭の内、南端の新曲輪、鍛冶曲輪などの部分が岩槻城址公園として整備され、史跡に指定されています。その地内には土塁、空堀、馬出など、中世城郭の面影がよく残されています。(さいたま市HPより)
私的満足度「★」:桜目当てで訪問したのですがまだ2分咲でした。(写真上)現在城跡にある黒門(大手門)、裏門は明治以降県庁の正門などに使われていたものが現在の位置に移築されたものだそうです。
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