10群馬県 伊香保神社



所在地:渋川市伊香保町伊香保1
アクセス:高崎駅〜バス
文化財:

伊香保温泉の湯元近く、石段街を登りつめた場所に鎮座する延喜式内社です。
  「伊香保」の地名は古く、『万葉集』の東歌にも詠まれています。「厳つ峰」(いかつほ)とか「雷の峰」(いかつちのほ)に由来し、榛名山、とくに水沢山を指す古名だったと言われています。
  伊香保神社ももとは、水沢山を信仰の対象としたもので、別の場所にあったようです。  平安時代の記録では承和6年(839)に従五位下、元慶4年(880)には従四位上、長元3年(1030)ころに正一位に叙せられ、やがて上野国三宮となります。その後は衰微しますが、いつしか伊香保の源泉近くへ移り、温泉の守護神となったようです。
  現在の祭神は、温泉・医療・商売繁盛の神である大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)であり、湯元近くに移ってから後の祭神と思われます。また、この2神は子宝さずけの神様ともいわれています。承和2年(835)に名神大社に列せられたのが9月19日であったため、毎年この日に例大祭が行われています。(渋川市HPより)

【伊香保神社掲額事件】-江戸時代後期の文政5年(1822)、北辰一刀流創始者千葉周作が上州一の剣豪とうたわれた馬庭念流の小泉弥兵衛を破ると、多くの人々が千葉周作の門弟となり、その門弟達が北辰一刀流の額を伊香保神社に奉納しようとしたところ、馬庭念流一門5百名と、関係者や馬庭念流から依頼されと思われるやくざ、猟師が額の奉納阻止の為集まり一触即発の状態となりました。
馬庭念流の当代樋口定輝は争乱を防ぐ為に奔走しましたが、それが逆に事態悪化を招き、結局、村役人の木暮武太夫や代官所が仲裁し千葉周作が上州から去る事で決着を見ました。

私的満足度「★★」:伊香保温泉石段は365段あるのですが、その頂上にあります。





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