住所;栃木県栃木市城内
アクセス;JR栃木駅〜徒歩
文化財:
応永元年(1394)皆川秀光が築いたとされているが、定かではない。
くだって、天正19年(1591)皆川広照が、豊臣秀吉の小田原合戦時に陥落した皆川城にかわるものとして、この地に城を築いた。
その規模は、城の西入口より栃木町の通りまで約618m、城の周りは約927m、本丸は東西約149m、南北約133mで、二の丸は東西約127m、南北約65mであったという。
小田原合戦で、広照は後北条氏に味方し、小田原城に入ったが、密かに城を抜け出し、徳川家康を通じて降伏したので、皆川3万5千石は安堵された。
慶長8年(1603)松平忠輝が信濃川中島藩に封ぜられた時、かつての忠輝の傅役の功により、広照は信州飯山7万5千石を賜ったが、その後、慶長14年(1609)、広照が忠輝の不行跡(これについてははなはだ疑問であるが)などからの責めを負い改易となり、栃木城も取り壊されてしまった。(現地案内板より)
私的満足度「★」:栃木県栃木市の栃木城ですからさぞやすごい縄張りがと期待に胸躍らせての訪問でしたが、住宅地の普通の公園になっていました。
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