所在地:栃木県佐野市春日岡山 2233 アクセス:佐野駅〜徒歩 文化財:東照宮社殿(県重文) 春日岡(かすがおか)とよばれ、多くの人から親しまれている寺である。 朱雀(すじゃく)天皇の944(天慶七)年3月、奈良の僧 宥尊(ゆうそん)上人が開いた寺で、 最初は日本の仏教で最も古い南都六宗の法相宗に属し、正しくは春日岡山転法輪院惣宗官寺 (かすがおかやまてんぼうりんいんそうしゅうかんじ)という。 藤原秀郷公が平将門降伏の誓願により、佐野の春日岡 (現在の城山公園)の地に、春日明神の社殿とともにお寺を建て 朱雀天皇に申し上げたところ、天皇は大変喜ばれ「春日岡山惣宗官寺」の勅額を賜ったといわれている。 徳川時代には御朱印五十石を拝領し、寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等徳川幕府との縁故も深い。 厄除け大師 大師は俗姓を木津氏といって12歳の時、比叡山に登り出家し、法名を良源(りょうげん)と称した。 966(康保三)年十八代天台座主となり叡山中興の祖とあがめられた。 995(永観三)年世寿74歳で遷化(せんげ)され、慈恵大師と申し上げる。大師は生前より密教の行法を深く修め、多くの神秘奇跡の多かったところから、俗間の信仰をあつめている。 当山安置の大師像は大師の42歳のとき、比叡山解脱谷(げだつだに)においてこの世の人々の厄難苦悩をあわれみ、 能化世間苦(のうくせけんく)の秘法を感得したまい、 大師は如意輪観世音(にょいりんかんぜおん)のご化身といわれている。 東照宮 徳川家康公のみ霊が静岡県久能山より日光遷座の途中、元和三年三月二十七日一泊、 この仏縁により諸大名の寄進にて本殿等の造営が成り、江戸中期を代表する華麗、精緻な技巧 によって完成された。 (昭和五十七年八月二十七日付にて県指定重要文化財となる。)全国に祭祀されている東照宮社殿 四百余の中、最もすぐれた建造物と高く評価されている。 境内の乾(いぬい)の地に東照宮は造営されている。本殿の前面に拝殿、唐門を建立し、当時は更に 本地堂、水屋、等の建物も造営された由であるが、現存するものは前記の三棟と本殿周辺の透塀である。(佐野厄除け大師HPより) |