所在地:大田原市城山2丁目
アクセス:JR西那須野駅〜バス
文化財:市指定史跡
大田原城は天文14年(1545)に当時の領主大田原資清によって築城されました。東西210m、南北327m、標高25mの平山城で本丸を中心に二の丸、三の丸が配され、北廓、西廓、馬場などの郭がありました。大田原氏は那須家に仕え、那須七騎のひとつに数えられる有力家臣でしたが、策謀に長け同じ家臣である大関氏や福原氏に一族から養子に出し、千本氏を謀略をもって滅ぼすなど急速に勢力を拡大させてきました。天正18年(1585)には主家である那須氏が小田原参陣しなかったものの、自らは小田原に馳せ参じ豊臣秀吉に接見したことで領地が安堵され、独立した領主として認められました。関が原の合戦では東軍につき、対上杉景勝の拠点の1つとなります。合戦後の慶長7年(1603)に4500石の加増を受け1万2千400石の大名となり新たに大田原藩を立藩します。戊辰戦争では早くから新政府側に組した為、奥羽越列藩同盟側から標的にされ大田原城が戦場となり砲撃を受け三の丸などが焼失しています。明治6年には廃城となり現在は龍城公園として市民の憩いの場となっています。又、大田原城は昭和36年に大田原市指定史跡となっています。(栃木県観光HPより)
私的満足度「★」:城跡としては特に何も遺構はありません。
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