所在地:栃木県佐野市栃本町
アクセス:JR佐野駅〜タクシー
文化財:
唐沢山城の築城年代などは明らかでないが、伝承によれば、藤原秀郷が天慶3年(940)から築城したといわれています。藤原秀郷は平将門の乱を平定した一人で、その功績により下野国に勢力を張り、小山・足利・結城・佐野などの諸氏は後裔であるとされています。
平安時代後期に廃城となりましたが、治承4年(1181)足利信綱の弟・足利成俊が佐野荘司と称して、廃城となっていた唐沢山城を居城として再興しました。基綱は佐野氏を称し、代々唐沢山城を居城としました。鎌倉時代、一時三浦一族の乱に巻き込まれ衰退しましたが、戦国時代になると威勢を回復します。佐野氏中興の祖・盛綱以降勢力を拡大しますが、小田原北条氏と越後上杉氏に挟まれ、しばしば攻撃を受けます。特に上杉謙信は、永禄4年(1561)以降天正2年(1574)まで10回にわたって攻撃しています。謙信没後は、北条氏と佐竹氏の間で戦い、佐野宗綱が討ち死にしてからは北条氏の支配となりました。豊臣秀吉の小田原攻めの際には、宗綱の弟・佐野房綱が従軍し戦功があり、旧領を回復しました。現在見られる石垣などは、この房綱の時代に築かれたものであるといわれています。そして諸説ありますが、唐沢山城は慶長7年(1602)廃城となり、佐野氏の居城は麓の春日岡城へと移りました。(「とちぎの古城を歩く(下野新聞社)」より)
私的満足度「★★」:さすがは関東七名城の一つと言われただけのことはありそうです。眼下に関八州を一望に収める絶景が広がります。
令和元年10月5日、車でそばまで来たので寄り道してみました。写真も少し良いのが撮れたのとお城の御朱印をゲットしました。
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