所在地:栃木県佐野市富士町1409 アクセス:JR佐野駅~タクシー 文化財: 明治十三年十月、藤原秀郷公の子孫佐野氏及び旧臣らが、秀郷公の遺徳を称え公の御霊を祀る神社創立のため東明会を組織する。その後明治十六年十月、東明会の尽力により唐澤山古城本丸跡地に当神社が創建鎮座し、明治二十三年十二月一日、別格官幣社(旧社格)に列せられる。御祭神の藤原秀郷公(生歿年不詳、一説には正暦二年九月廿五日薨去、御寿壱百壱歳とある。)は、平安時代初期の武士で、俗称田原藤太(俵太)とも呼ばれ今より一千年の昔天慶の乱で平将門の討伐等、功績を上げた。 秀郷公は、延長五年(九二七)に下野國(今の栃木県)の警察にあたる押領使に任ぜられ父祖伝来のこの地に参られ、唐澤山に城を築き居城とされた。この後、平将門の乱(天慶二年《九三九年》頃)がおこり、その征伐のため朝廷より遣わされた藤原忠文の軍が到着する前に公は平貞盛と協力して将門を討ち取った(天慶の乱、天慶三年《九四〇年二月十四日》に収束)。この功績により押領使から下野守(栃木県の長官)に任ぜられ、さらに武蔵守も兼任するようになり朝廷より土地一功田をあたえられ、その後代々子孫が城主となりこの地を治めてきた。その他に、秀郷公に関しては「三井寺物語」にあるような「蜈蚣(むかで)退治」等の様々な伝説がある。(唐沢山神社HPより) |