住所;茨城県古河市中央町
アクセス;JR古河駅〜徒歩
文化財:
古河城は平安時代末期〜鎌倉時代初期に下河辺行平が築いたのが始まりと推定されています。康正元年(1455)鎌倉にいた関東管領足利成氏が幕府と対立、成氏は古河城に拠点を移し古河公方を名乗り周囲に強大な勢力圏を築きます。古河城はこの頃大幅な整備拡充されたと考えられ、北関東の中心として宇都宮氏や小山氏など周辺領主も従っていました。成氏が死去すると一族間の対立が度々起こり、戦国大名として巨大化出来ず、次第に北条氏に従属するようになり5代古河公方足利義氏には男子がなかった為一時断絶、豊臣秀吉の命により義氏の娘の氏姫と一族である足利国朝とを婚姻させ古河公方家が再興し後の喜連川氏(喜連川藩主)の祖となりました。江戸時代に入ると幕府から戦略的拠点として重要視され歴代藩主には譜代大名が配置され、将軍の日光東照宮(栃木県日光市)参拝の折には宿舎として利用されました。現在は渡良瀬川の改修事業により多くの遺構が失われ、諏訪曲輪や観音寺曲輪の土塁や掘りが一部残されている他、乾門が福法寺の山門として移築され、文庫蔵と乾蔵と伝わる蔵が坂長本店に移築されています。(古河市HPより)
私的満足度「★」:歴史博物館の一帯がお城跡ですが、お堀がずいぶんと改造されてしまい、やや残念です。乾門が移築されている福法寺もすぐ側にありました。
|