07福島県 福島城

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住所;福島市杉妻町
アクセス;JR福島駅〜徒歩

福島城の最初の築城は不明ですが室町時代には大仏城と云われ伊達氏の支城だったとされ、応永20年(1413)には伊達持宗と懸田定勝が反乱を起こし鎌倉公方と対峙したと言われています。その後、杉目城と改められるも引き続き伊達氏の重要な拠点の1つとして重臣が城代となり、伊達晴宗の隠居所にもなりました。奥州仕置きにより蒲生氏が領主になると信夫郡5万石は家臣である木村吉清が治め福島城と改称しますが、文禄4年には廃城となります。上杉氏が会津若松城(会津若松市)に入るととなると重臣である本庄繁長を1万石で配し、関ヶ原の戦いでは本庄氏側の兵力の20倍にあたる2万を超える政宗本隊を退けるなどの戦果をあげました。上杉景勝が米沢城(米沢市)に移さされると、本多氏、堀田氏と領主がかわりますが城跡に陣屋を築く程度で本格的な城郭ではありませんでした。元禄15年(1702)に板倉氏が3万石で入封すると福島城は大改修され現在の福島市の根幹となる城下町も整備されました。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に属した為、敗戦後廃城となり板倉氏は三河へ転封させられました。現在の福島城の本丸、二の丸付近は官庁街となり、平城だった事もありほとんど形状を留めていません。二の丸庭園の跡が旧状が最も感じられる場所で土塁の一部も見る事が出来ます。(福島県見所ナビ等より)

私的満足度「★」:県庁の脇というか中に城の遺構としての庭園跡があります。特に手入れをしてませんので城址としても庭としても微妙です。


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