所在地:山形県鶴岡市田麦俣字六十里山7番地 アクセス:鶴岡駅~バス約90分 湯殿山神社は、山形県庄内地方にひろがる出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)のうちの、湯殿山の中腹にある。湯殿山は月山に連なるものであり、湯殿山神社は、月山から尾根を西に8km下りた地点にあり、また、月山より流れる梵字川沿いにある。古来から修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集めている。 湯殿山神社は、本殿や社殿がない点に大きな特徴があるが、もともと湯殿山は山岳信仰の対象であり、山自体に神が鎮まるものとして、人工的な信仰の場をつくることは禁じられてきたという。 明治以前、三山において神仏習合の信仰が盛んだったころ、羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、そして、当時三山のうちに含まれていた葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされた。一方、湯殿山は「三山」というよりもそれらを超えた別格のものとして、大日如来とされていた。 こうして、出羽三山においては、観音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来の導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、大日如来の境地に至って、即身成仏を達成するという「三関三渡」の修行が行われることとなった。この修行においては、裸足で御神体(湯殿山)に登拝することが、大日如来と一体になる行為とされ、非常に尊ばれた。また、村山地方においては、現世利益の神として病気平癒や水利、先祖供養として参拝し、15歳になると「御山参り」と称して詣でた。江戸時代、これらは講と呼ばれ、出羽国をはじめとして新潟や関東からも参拝に訪れ、講中が参拝を記念して供養塔(湯殿山碑)を建立した。 古来、湯殿山については一切口外しない慣わしとされ、現在も御神体などの写真は厳禁とされる。元禄2年6月(西暦1689年7月)に、月山に登り、湯殿山を訪れた俳聖 松尾芭蕉も、「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」の句を残した。 また、湯殿山神社の本宮では、参拝の際に裸足になり、祓を受けなければならないとされており、俗世と隔離された神域として認識されていることがうかがわれる。(ウィッキペディアより) 私的満足度「★★★」:「語るなかれ」「聞くなかれ」湯殿山神社本宮は、写真撮影禁止、参拝は土足厳禁の神社。温泉の湧き出る巨岩が御神体ですから参拝出口の足湯に入って足を拭きます。鳥居脇には即身仏がいたりして、なかなかの場所です。
|