住所;山形県寒河江市丸内1丁目 アクセス;JR寒河江駅〜徒歩 寒河江城は鎌倉時代以来、寒河江荘の地頭職だった大江氏の本拠地として約400年の間、本城としての役目を果してきました。当初は本丸のみの比較的小さな城でしたが、時代が流れるにつれ領土が広大するのと同時に城郭も拡張され、8代目時氏には二の丸、三の丸を持ち、東西約400m、南北約550mの規模で三重の掘りに囲われた堅固な平城が完成しました。その後、領土も西村山郡の大部分を占める程に成長し、石高は8万石を領するに至り、戦国末期になると北上を続ける最上氏と雌雄を決する事になります。天正十二年(1584年)に当主大江高基の弟勘十郎を大将として奮戦しましたが遂に敗れ高基は御楯山上まで敗走しそこで自刃したと伝えれられています。周辺は最上氏が支配しますが元和8年(1622)にお家騒動の為改易になると、寒河江城は廃城となり城郭は破棄されました。現在、本丸跡が寒河江小学校地となり、平城だった事もあり遺構はほとんど見当たらず、僅かに三の丸にあった辰巳門(東南方)だけが澄江寺の山門(寒河江市指定有形文化財)としてに移築されています。又、隣家には歴代寒河江城主が信仰していたという駒形堂が建立されています。(山形県HPより) 私的満足度「★」:現在では、どの曲輪も空堀も住宅地となり消滅しており、小学校正門脇に石碑と案内板が建てられているだけです。 |