所在地:山形県酒田市松嶺 アクセス:JR羽越本線酒田駅〜バス 文化財:県指定有形文化財 松山城は元々佐藤伊勢守正信が築いた中山館の跡に建てられた城で、庄内藩から分藩した当初は2万石の大名ながら城持とは認められず、陣屋構の居館で政務を取り仕切っていました。三代藩主忠休は幕閣に入り若年寄の地位まで登りつめた為、5千石を加増され、さらに城持大名へと格上げとなり築城の許可を得る事が出来ました。築城の縄張りは庄内藩の軍師 長坂十太夫正逸為があたり天明元年(1781)から天明7年(1787)までの6年間という長い年月を工事に費やしました。戊辰戦争では松山藩は庄内藩と共に奥羽越列藩同盟に加担した為、隣接する矢島藩、秋田藩などに敗北を喫し、降伏後に松山城は大手門を残し廃城となりました。現在残っている大手門は寛政2年に落雷により焼失したものを酒田の豪商本間家が寄進し寛政4年(1792)に再建したもので、山形県内に残る唯一の城門建築として大変貴重なもので山形県指定有形文化財に指定されています。 (山形県HPより) 私的満足度「★」:初回訪問時は電車接続の合間にタクシーを飛ばして写真を撮り、5分で駅に戻ったので十分見れませんでした。そこで桜の時期に總光寺と合わせて再訪しました。 |