06山形県 出羽三山神社



所在地:山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7 

アクセス:鶴岡駅~バス

文化財:付属の博物館に多数展示されています

出羽三山神社の前身である出羽神社の創建は推古元年(593)に蜂子皇子(崇峻天皇の第3皇子)が羽黒大神を勧請した事が始まりとされます。伝承によると蜂子皇子は崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺された為、都を離れ出羽に落ち延びたとされ、更に霊山である羽黒山に三本足の霊烏(八咫烏?)に導かれ登拝すると羽黒権現(羽黒大神)が出現し世のことわり意味を感得したと伝えられています。その後、蜂子皇子は羽黒山には寂光寺を開山すると月山、湯殿山と次々に開いて出羽三山修験の祖を築きました。当初は伊デ波神社として延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社としても信仰を集め、特に歴代領主だけでなく朝廷や幕府などの中央権力からも崇敬され社領や社殿の造営などが行われていました。羽黒山寂光寺が開山以降、神仏習合し、祭神を伊デ波神・稲倉魂命(羽黒権現=羽黒大神)、本地仏を正観世音菩薩とする羽黒山修験の中心として隆盛し中世には周辺大名も注視する程の影響力がありました。戦国時代の最上家の庄内侵攻の兵火により多くの堂宇が焼失し衰微しましたが、その後再興され、第50代羽黒山別当である天宥法印は江戸幕府の中枢に近い、天海大僧正に師事する事で羽黒山を真言宗から天台宗に統一し幕府から大きな庇護を受け寺領1500石を安堵されています。江戸時代中期以降になると庶民の行楽の機運が一気に高まり、全国に羽黒山や出羽三山の講が結成され多くの参拝者が訪れるようになり門前町は一大宿坊街として発展しました。(山形県観光HPより)

私的満足度「★★★」:鶴岡の湯田川温泉に前泊して朝一番のバスで訪問。15分間で折り返すような人は私だけでした。皆じっくり参拝するようです。麓から「〇〇坊」という宿坊が何軒も連なっており、独特の雰囲気を出しています。





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