住所:秋田県大仙市大曲字古四王際30 アクセス:JR秋田駅からバス 社伝では、崇神天皇の時代、四道将軍大彦命が蝦夷を平定するため北陸道に派遣された折、北門の鎮護のために武甕槌神を齶田浦神(あぎたのうらのかみ)としてとして祀り、次いで斉明天皇の時代、阿倍比羅夫が秋田地方に来た折、自らの祖である大彦命を合祀し、越王神社(古四王神社)として創建したとされている。「齶田浦神」の名は日本書紀に見え、一説では蝦夷が信仰した地主神または海洋神と推定し、「齶田」を「秋田」の古名とする。当神社は延喜式神名帳には記載がないが、『日本三代実録卷第十』貞観7年2月27日(865年3月28日)条に「出羽国正六位上城輪神。高泉神並従五位下」との記述があり、このうち「高泉神」について菅江真澄は古四王神社のことであると書いている。 高泉神である明確な証拠は他に存在しないが、新潟・山形・秋田を中心に、北陸・東北地方の各地に胡四王、古四王、巨四王、小四王、高志王、越王、腰王、小姓 等という標記の神社が多数分布することから、越の国を中心に北方に広がった阿倍氏の祖神と蝦夷の土着の神が同一視されたものとして、かなり古くから信仰された神であろうと推察する意見がある。なお、伝説の域を出ないが、坂上田村麻呂が802年(延暦21年)の蝦夷討伐に際し、戦勝祈願をしたと伝えられている田村神社が境内に存在する。(ウィッキペディアHPより) 私的満足度「★★」:お城の隣にあります。「こしおう」神社と呼びます。 |
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