04宮城県 若林城

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住所;仙台市若林区古城2
アクセス:JR仙台駅〜バス

寛永13年(1636)、政宗は参勤で江戸に向かう際、城の南西に杉を植え、堀一重を残し城は廃するように命じ、江戸でこの世を去りました。若林城の建物は寛永15年(1638)に忠宗により造営された仙台城二の丸の殿舎として移築したほか、一部は仙台城下の寺院や家臣屋敷に移築したとされています。また廃城に伴い若林城下も廃止され、小泉村に組み込まれました。
 寛永13年に領内の検地帳を収めた若林の御帳蔵(ごちょうぐら)が火災にあったことや、貞享4年(1687)に焔硝蔵(えんしょうぐら)が爆発した記録が残っていますが、これらは城外での出来事とみられます。しかし延宝8年(1680)の『肯山公治家記録』(こうざんこうじかきろく)にみえる「若林薬園」(わかばやしやくえん)は、領内の建物などを記録した『御修覆帳』(ごしゅうふくちょう)にも描かれており、廃城後にこの地が藩営の薬草園となっていたことがうかがえます。これを裏付けるように、調査では近世の畑跡や、石組水路跡なども複数発見されており、若林城のその後の姿も次第に明らかになりつつあります。
 明治12年(1879)には西南戦争国事犯の収容を目的としてこの地に宮城集治監が設置され、後に宮城刑務所となって現在に至ることとなります。(仙台市HPより)
松音寺山門:切妻造(きりづまづくり)、棧瓦葺(さんがわらぶき)で三間一戸の薬医門(やくいもん)である。もとは若林城の正門であったものを、伊達家から拝領したものと言われている。松音寺は、火災により明治21年に現在地に移転しており、この門もその際に移築されたと伝えられる。

私的満足度「★★」:現地は宮城刑務所になっております。写真は若林区新寺にある松音寺の山門(移築正門:仙台市登録文化財)。松音寺のある若林区新寺にはこの他にも見所の多いお寺が沢山あります。


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