住所;岩手県盛岡市愛宕町14-1 アクセス;JR盛岡駅〜バス 作庭:座視鑑賞を重視した廻遊式庭園 第4代盛岡藩主・南部重信(しげのぶ)の治世の寛文9年(1669年)に城中で用いる薬草の栽培が始められ,「御薬園(おやくえん)」と呼ばれるようになりました。7代藩主・利幹(としもと)治世の正徳5年(1715年)頃になって藩主の屋敷として整備され,次の利雄(としかつ)の治世には大規模な造園がなされました。この間に稲荷社のほか,御殿・茶室・能舞台が設けられ,京都からはカエデの移植をはじめとして奇石珍木(きせきちんぼく)が集められ,藩主の別邸地とされました。安政元(1854)年から文久3(1863)年までの間には,屋敷地の一部を藩校・明義堂(めいぎどう)の医学・経学(きょうがく)の教場として使用し,藩士の文教の中心となりました。 明治元(1868)年,維新の変革により,間もなく屋敷は取り払われ,敷地内は田畑となり,荒廃しました。明治41(1908)年,東京に本邸を構えていた南部家の別邸として生まれ変わり,庭園も整備されました。昭和28(1953)年から「岩手県産業文化館」として整備され,昭和30(1955)年には盛岡市に移管,昭和33年(1958)年に盛岡市公民館の名称に改め,昭和55(1980)年には「中央公民館」として増改築されて,現在にいたります。 現在,庭園内には,第19代内閣総理大臣を務めた原敬(はらたかし)の別邸内にあった「田舎家」を移築した「白芳庵」があり,園内の趣を深めています。また,明治天皇が東北巡幸の際に宿泊所として利用した「聖風閣」や,盛岡出身の俳人・山口青邨(やまぐちせいそん)が幼少期を過ごした家屋が「愛宕亭」として復元されています。(盛岡市中央公民館HPより) 私的満足度「★★」:盛岡の御薬園です。見事なお庭でした。紅葉が凄そうな感じです。 |