住所;金ケ崎町西根裏小路
アクセス;JR金ヶ崎駅〜徒歩
文化財:
伊達氏は領内に21の要害を置き、大身家臣に治めさせました。その一つである金ケ崎要害は北上川と胆沢川の合流地点の舌状台地上にあります。北上川に沿って要害を取り囲むように武家地、南北に走る奥州街道の南北両端に足軽屋敷、中央部に町人地が形成され、要害は樹木帯によって周囲の河川や田園地帯とは明確に区画されます。金ケ崎要害の骨格は、寛永21年(1644年)に移封された大町定頼によって整備されたと考えられます。
保存地区は東西690m、南北980m、面積約34.8haの範囲で、かつての要害と武家地のほぼ全域にあたります。武家地内の小路はほぼ江戸時代のままで、鉤形や桝形、弓形の道路を組み合わせ城下町特有の形態を示しています。各屋敷地はサワラヒバの生垣で区画され、北西方向にはエグネと呼ぶスギの屋敷林をはじめとして、様々な樹木が植えられています。武家住宅は寄棟造茅葺の建物で、小路に沿った生垣とその背後の屋敷林の合間から武家屋敷の大きな屋根が見える景観は、当地方の武家地の典型的な姿を良く伝えています。
細目家は、仙台藩直属の家臣、御給主でした。屋敷は約1000坪あり、石積み、ドウダンツツジ、サツキツツジ混植の大玉物とアイクロ松の主庭は、他に例を見ません。(城内諏訪小路重要伝統的建築物群保存地区HPより)
私的満足度「★」:刈り込みが斬新なお庭です。
|