所在地:北海道函館市谷地頭町2番5号
アクセス:JR函館駅から市電谷地頭行きで15分、終点下車
文化財:
社伝によると後花園天皇文安2年(1445)亀田郡の領守河野加賀守政通が、函館に館を築いた時、その東南の隅に八幡神をお祀りしたと伝えられ、それは現在の元町、公会堂前あたりであったと言われている。永正8年河野一族蝦夷に館を陥され亀田郡赤川村に動座慶安年間巫女伊知女が赤川村より凾館元町に奉遷、寛政11年幕府は東蝦夷を直轄とし、奉行所を置くに至り、本宮はその用地なるを以て文化元年幕府の費用を以て会所町に奉遷、明治13年更に谷地頭に奉遷申し上げ現在に至っている。明治10年5月28日国幣小社に列格し、同29年10月19日国幣中社に昇格した。現在の社殿は大正4年に竣成したもので「大正式八幡造」の代表作と言われ、社殿の形式は聖帝八棟造りで、聖帝造(日吉造とも言い藤原時代の寝殿造の後方の一間を切り取った形)に、八棟造(権現造とも言い本殿と拝殿とを中殿で連結)を併せた実に森厳にして優雅である。
御祭神は往古より日本民族の祖神、開拓、航海、漁業の守護神として御神徳広大無辺である。とくに御鎮座以降北海道開拓については、神威の発揚ことに顕著なるものがあり、只に函館地方のみに留まらず、札幌開拓に関係し又石狩八幡神社、小樽住吉神社、室蘭八幡宮、歌登八幡神社等は当宮より勧請し、かつては樺太に至るまで御奉斎申し上げ御縁故の神社は頗る多かった。(函館八幡宮HPより)
私的満足度「★★」:函館で一番由緒正しい神社です。三の鳥居に「神威」の扁額がかかっているのがとっても印象的でした。
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