2007年3月1日

 拝啓 暖冬だっためか、桜の開花も早まりそうな今日この頃です。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、私の「来日70年を祝う会」にはご多忙にもかかわらず、白柳枢機卿様をはじめたくさんの方々のご出席を賜り、心から感謝いたします。また、イエズス会コルベンバッハ総長様ほか、多くの方々から祝福のお言葉を頂きましたが、中でもローマ教皇ベネディクト16世からの祝福の書状を戴きましたことは、私にとって最上の喜びであります。
 私がパリ発ワルシャワ行きの特急列車にベルリンから乗車し、ワルシャワからモスクワへ、シベリア鉄道に乗り継ぎ、旧満州国を縦断し、韓国の釜山から船で、日本の下関に着いたのが、1937年(昭和12年)2月17日の夜のことでした。間もなく日本は、非常時体制化となり、戦争に突入し、広島・長崎への原爆投下、広島にいた私も被爆しております。やがて終戦を迎え、六甲学院でのドイツ語の教師を皮切りに、上智大学で教育学を教える教員に欠員ができ、アメリカ留学を命じられ、やがて上智学院長、理事長、副学長、日本モンテッソーリ協会会長、理事長をも務めることにもなりました。そのいずれの役職も、皆様方のご援支援がなければ、なし得なかったことばかりです。
 着任直後の上智大学は、その規模も小さく経営基盤でした。教職員へ給料を支払うためにローマからの送金を早めてもらったこともあります。総合大学化するべき、理工学部の開設の資金調達のために奔走した日々が、つい昨日のように思い起こされます。その後の上智大学が、早稲田・慶応と並び称されるまで発展したことを思うと、正に感無量です。
 しかし、今後予定されている大学の拡充や、モンテッソーリ教育の普及のためには、まだまだ皆様方の暖かいご支援とご協力が必要です。健康である限り、私は、皆様方と共に、未来に向かって活動をつづけます。
 マイスナー枢機卿様のお言葉にありましたように、宣教師として永年勤続記録をさらに更新しようとおもっています。宣教師としての永年勤続記録をさらに更新しようと思っています。 
 どうぞ皆様もご健康で今後さらに更新しようと思っています。
どうぞか皆様も健勝で日々をすごされますよう、心よりお祈りいたします。  敬具
                                  
                                            クラウス・ルーメル SJ