ルーメル先生の「米寿と出版を祝う会」  赤羽孝久 浜野裕久

終了させていただきました。



 私達が敬愛してやまない上智大学名誉教授クラウス・ルーメル先生が、今年の9月28日で、満88歳の米寿を迎えられます。
 先生は、上智学院理事長として大学用地の拡充、理工学部の増設、上智短期大学が設置されている神奈川県秦野の用地の買収等、大学発展のために大きな貢献をなされました。
 また現在でも、日本モンテッソーリ協会会長として、幼児教育をはじめ、日本の教育界等で元気に活躍しておられます。そこで米寿を迎えるに当たり、下記により祝う会を開催しようと計画しております。
 ドイツに生まれた先生が、カトリック司祭を目指して来日されたのは、昭和12年のことです。この米寿を祝う会にあわせて、その68年間の波乱に富んだ足跡を「回顧録」としてまとめ出版、当日お配り致します。


ルーメル先生の米寿と出版を祝う会
  日 時  平成16年10月9日(土) 午後6時から
  場 所  ホテル・ニューオータニ 「麗の間」



拝啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 かねてご案内いたしておりました「ルーメル先生の米寿と出版を祝う会」は、10月9日、ニューオータニで、午後6時から予定通りに行われました。それにしても当日は、観測史上稀に見る最大級の勢力を持った台風が上陸し、そのため350名のご参加予定のところ、交通の事情等で残念ながらに250名のご参加にとどまりましたが、盛会のうちに終了いたしました。ここにご出席を予定していながら参加されなかった皆様、並びに記念品にご参加下さった皆様に、記念出版の書物と写真添えて、当日の模様を御報告いたします。
 会は、午後6時から、吉岡晋也、元テレビ朝日アナウンサー(昭和35年卒)の名司会で進行しました。南条俊二読売新聞論説副委員長(昭和45年卒)が開会の言葉で「今まで先生からいろいろな形で活力を頂いたと思うが、これからは先生に活力を注ぐという形で新たな出発としていきたいと思います」と語られました。ご来賓の白柳誠一東京教区枢密卿が、カトリック教会を代表して、「先生は日本のおけるひとつの大きな顔であり、上智大学のためだけでなくカトリック教会のために大きく貢献して下さった」と祝辞を述べられました。この後、高祖敏明上智学院理事長がケルンのマイスナー枢密卿から預かられたお祝の手紙を日本語に訳して披露されました。手紙は『主のぶどう畑にあける神父様の忠実な奉仕を、収穫のあるじが豊かな祝福で包んで下さいますように』と結ばれていました。さら、「私自身は、先生と親子の年齢差で、先生が、副学長の時、将来進むべき道について相談に行き、先生と同じ教育学を目指し、現在の私があります。ルーメル先生は米寿のお祝の次には、2013年の上智大学創立100周年を一緒にお祝していただきたい」と挨拶されました。
 乾杯の発声は先生の無二の親友、フランツ・モール神父にしていただき、「先生とは50年前に三木修道院で日本の文化を勉強した時からのおつきあいで、先生が、理事長の時には、私は財務を担当し協力してきました。これから先生は、モンテッソーリの研究のためにもがんばって下さい」と語り、乾杯の声と同時に拍手が響きわたりました。
 歓談のあとモンテッソーリの孫娘、レニルデ・モンテッソーリ女史の祝電を、ドクター・モンタナーロさん、松本静子さん、高根文雄さんがご披露され、ついでルーメル先生から洗礼を授かったピアニストの黒田聡子さんがピアノの演奏を披露されました。諸橋晋六三菱商事顧問(三菱商事社長・会長を歴任、昭和22年卒)が「本日皆様に差し上げる先生の回想録の帯を書く関係で事前に読ませてもらったが、先生がいなければ、上智大学の理工学部の存在はなく、また上智大学が総合大学として世間に認められるようになったのは、とりもなおさず先生の献身的な奉仕によるものです」と祝辞を述べられました。このあとルーメル先生は謝辞で、生い立ちを回想され「今日まで皆さまが私を育てて下さったことに感謝し、白寿の時にまた会いましょう」と結ばれると、大きな拍手とどよめきが起こりました。その後、花束贈呈、記念品の目録を贈呈しました。会は江島正子モンテッソーリ理事(昭和39年卒)が「来年はルーメル先生の司祭叙階60周年になり、新たな出発となります。本日は台風の中、お集まりいただき感謝いたします」と閉会の言葉を述べ、会は午後8時過ぎ滞りなく終了しました。
なお記念品50万円は記念出版の出版費用の一部として贈呈いたしました。
平成16年 白 秋
                              ルーメル先生の米寿を出版を祝う会
                                    発起人代表  浜野 裕久
                                    世話人     一 同



拝啓 涼しい秋の季節となりました。
 私の「米寿と出版を祝う会」は、あいにく、まれに見る強い台風の襲来にもかかわらず、およそ250名の方々のご出席を得て、思い出に残る会となりました。
 しかしご出席を予定されながら台風のため、やむなく欠席された皆さま、また記念品に参加して下さった皆さまのお陰で「回想録」を出版する運びとなりましたことを心から御礼申し上げます。
 思えば私は第一次世界大戦のさなかに産声をあげ、第二次世界大戦では、疎開したはずの広島で原爆の洗礼を受け、そして今回の台風の中でお祝の会が開かれたことにも、何か象徴的な意味があったような気がいたします。
 11年前に喜寿のお祝の会を催していただいた時は、今後は司祭をしての努めを果たしながら、日本モンテッソーリ協会の会長として、この教育法を日本に広く紹介するため、講演会等には積極的に参加しようと考えておりました。
ところが80歳を過ぎたころ、日本イエズス会本部から、特別養護老人ホーム「友興会」の理事長を託されましたが、この財団が2億4千万円の借財を抱えていたため、どのように返済するか、正に「お先真っ暗」で途方に暮れた時もありました。しかし心を入れ替えて、皆さまに募金をお願いし、また母国ドイツへ募金行脚を行った結果、ほとんど返済することができました。その間、皆さまに大変ご迷惑をおかけしたこと、またなみなみならぬご協力を得ましたこと、改めて御礼申し上げます。米寿の会での台風がもろもろのものを一掃して、これから先の道を開いてくれたと解釈しております。
 今回、2年程前に世話役の方から「米寿に向けて回想録を出版しましょう」との依頼を受けた時は、この歳になって88年間を回想することはとうてい無理だと思いながらも下書きをメモし、インタビューに答えているうちに何とかまとめることができました。頂戴いたしました記念品の出版費用と、出版社のご好意で一冊の本として出版することができました。ここに同封いたしますのでご批評ください。
 これまで皆さまが私を育ててくださったことに感謝し、皆さまのご健勝をお祈りいたします。       敬具

 2004年 秋の夜長に感謝をこめて
                              クラウス・ルーメル




白柳誠一枢機卿の深い感動を与えた祝辞
 
ドイツのケルンのマイスナー(Kardinai Joachim Meisner)枢機卿からのお祝いの手紙を読まれる高祖敏明上智学院理事長