肖像権・パブリシティ権



パブリシティ権とは一体何なのでしょうか。

パブリシティ、すなわちpublicityの意味を辞書で引くと、privacyの反対語で周知、知れわたること、公然、公表、広報、 宣伝、公告などの意味が載っています。これらの意味を総合すると、publicityとは、「公になること」「公にすること」という ことになるのではないかと思います。それでは、publicity right、すなわち、パブリシティ権とは何かというと、「公になる 権利」「公にする権利」ということが言えると思います。「公になる権利」「公にする権利」とは何なのでしょうか。パブリシティ権 というものは、法律上に明文の規定があるわけではなく、判例上認められてきた権利で、裁判で最初にパブリシティ権が認められたの は、昭和51年の「マークレスター事件」と言われています。

パブリシティ権というのは、著名人だけに認められている権利です。著名人は、著名であるがゆえに、その名前、肖像、言動、 趣味、嗜好その他あらゆるものが衆人環視の対象となり、かつ経済的効果を齎すものであると社会的にも、判例上も認められており、 著名人のありとあらゆるパーツが商売のネタとなる可能性を秘めています。

Aという化粧品とBという化粧品があるとします。Aという化粧品はaメーカーのものであり、Bという化粧品はbメーカーのもので、 ともに三千円とします。aメーカーはシェア1位、bメーカーはシェア2位でライバル関係にあります。aメーカーはいつものように容姿 端麗ではあるが日本ではさほど有名ではない白人モデルを使用し、bメーカーは日本の若い女性に圧倒的人気を誇るアーティストをモデ ルとして使用した結果、 bメーカーのシェアがaメーカーのシェアを上回ったとしたら、そのアーティストがbメーカーに経済的効果を 齎したということが言え、当該効果を齎したアーティストの名前、肖像がパブリシティ効果ということになります。bメーカーのCMに そのアーティストが登場してもいいし、また、 「そのアーティストが使用している化粧品」というようにアーティストの名前だけを 使用してもいいし、更には、そのアーティストが実際に日常生活において使用しているという事実を開示するだけであっても、当該製品 の宣伝効果は絶大なるものが期待できます。どういう形にしろ著名人と商品とを結ぶ付け、その結果当該商品に経済的効果を齎すもの であるとすれば、その商品と著名人を結びつけることを許諾する行為がパブリシティ権の許諾ということになります。(もっとも、 アーティストの名前・肖像だけが売上UPの要因の全てではなく、商品そのものの出来、 CMの出来、時代背景、その他色々な要因が絡み 合って売り上げ増につながったものと思われますが、アーティストがその一部であることは間違いのないところだと思います。 バッグ、アクセサリー、化粧品、アパレル等のファッション製品に有名人を使いその商品の知名度、売り上げ増を計る方法は常に 行われている手法です。

それでは、肖像権とは何でしょうか。

肖像権とは自分の姿、形を自分で管理する権利のことをいい、日本国民であれば全ての人が持っている基本的人権の一つであると 言われています。プライバシー権の一部であり、氏名表示権も含めて、誰でも自分の名前、顔形を他人に勝手に使用されたり、公表さ れたりしたくないと思います。自分の肖像、名前が自分の知らないところで勝手に使用されたらどうでしょうか。誰でもいい気持ちは しないと思います。ましてや、その目的が虚偽であったり、誹謗中傷だったとしたら精神的にかなりダメージを受ける人が出てきても おかしくありません。法律及び裁判はそういう理不尽な行為を防御し、救済を与えるために規定され運用されています。ここで一つ 注意していただきたいことは、名誉毀損の場合は、政治家等所謂公人と言われる人は、週刊誌等で誹謗中傷される内容が事実であること が証明されれば名誉毀損の罪を問うことはできず、一般人であれば、その公表された内容が事実であったとしても、その内容が本人の 名誉を毀損するものであれば名誉毀損の罪に問われるということです。一般の人は基本的に自分の肖像を勝手に使用されることはあり ません。勝手に使用され精神的損害を受けた場合は不法行為責任を追及でき、損害賠償(慰藉料)を請求することができます。 また、その内容が名誉を毀損するものであれば、その内容が真実であるかどうかに関係なく名誉毀損罪ということで刑事告訴を行なうことも できます。

しかしながら、著名人については、肖像権についてはその内容が名誉毀損に該当しないものであれば、肖像権がある程度制限される 判断が裁判上行なわれています。すなわち、著名人は有名であるからこそその価値は高まり、収入も増えるわけだから、ある程度のマス コミ等での露出は我慢すべきである。その代わりに、著名人の名前、肖像等を使って商売をする権利を当該著名人に与え、勝手に他人が 商売に使用することを禁止しています。これがパブリシティ権と言われているもので、タレントショップで無断で売られているブロマイ ド写真はまさにこの著名人に与えられた「パブリシティ権」の侵害ということになります。また、タレントの顔を使った合成写真、 所謂アイコラは肖像権の侵害、また使われ方によっては名誉毀損に該当する場合も考えられます。

それでは、パブリシティ権について争われた判例を見ていきながら、パブリシティ権について、司法の場においてどのように判断さ れ、取り扱われているのか判例を見ながら検証していきたいと思います。

○ キング・クリムゾン事件(東京高裁、平11.2.24)

(当事者)
控訴人:エフエム東京+後藤 亘
被控訴人:ロバート・フリップ(英国)

(事件の概要)
FM東京がキング・クリムゾンというアーティスト(グループ)のジャケット写真(以下「ジャケ写」という)等を多数掲載した 「キング・クリムゾン」という書籍をアーティストの許諾を得ることなく、無断で5000部出版したことに対して、パブリシティ権を 侵害したということで起こされた裁判です。書籍の表及び裏のカバーデザインにはいずれもキング・クリムゾンのジャケ写が多数使用 されており、その90%を被控訴人又はキング・クリムゾン等のジャケ写と収録楽曲の題名を掲げ、これに数行から30行程度の解説文が 付されている。

被控訴人はパブリシティ権の侵害を理由として控訴人に対し、210万円の損害賠償及び本書籍の印刷・販売の差し止め・廃棄を請求し、 第一審では、被控訴人が勝訴(損害賠償額40万円)したため、控訴人が控訴しました。

(高裁判断)

@ パブリシティ権
著名人の氏名、肖像等が持つ経済的利益ないし価値は、著名人自身の名声、社会的評価、知名度等から派生するものということができる から、著名人がこの経済的利益ないし価値を自己に帰属する固有の利益ないし権利と考え、他人の不当な使用を排除する排他的な支配権 を主張することは正当な要求であり、このような経済的利益ないし価値は、財産的な利益ないし権利として保護されるべきものであると 考えられる。

このように著名人がその氏名、肖像その他の顧客吸引力のある個人識別情報の有する経済的利益ないし価値(「パブリシティ価値」) を排他的に支配する権利がパブリシティ権と称されるものである。

A パブリシティ権の侵害と不法行為の成立
パブリシティ価値を無断で使用する行為はパブリシティ権を侵害するものとして不法行為を構成する。

一方、著名人が著名性を獲得するにあたってはマスメディア等による紹介等が大きく与っていることを否定することはできない。 マスメディア等による著名人の紹介等は本来言論、出版、報道の自由として保障されるものであり、著名人が自己に対するマスメディア等 の批判を拒絶したり情報を統制することは一定の制約の下にあるというべきであり、パブリシティ権の名の下にこれらを拒絶、統制することが 不当なものとして許されない場合があり得る。

従って、他人の氏名、肖像等の使用がパブリシティ権の侵害として不法行為を構成するか否かは、他人の氏名、肖像等を使用する目 的、方法、態様等を全体的かつ客観的に考察して、右使用が他人の氏名、肖像等のパブリシティ価値に着目し、その利用を目的とするもので あるといえるか否かにより判断すべきである。

B 本件書籍について
控訴人会社が出版する「地球音楽ライブラリー」シリーズは、ロック、フォーク等若者が愛好する現代音楽の各ジャンルの一流音楽家の 作品を網羅し、その魅力と軌跡を解明することを編集目的としており、音楽家の成育過程や活動を年代順に説明する伝記、作品紹介、及び 人名索引から構成され、本書籍もこのような編集目的に沿って編集されている。

C 本件書籍とパブリシティ権侵害の有無
本件書籍の中心的部分を占める作品紹介の部分に掲載されているジャケ写187枚のうち被控訴人本人の肖像写真が使用されているものは わずか3枚で、これにキング・クリムゾンの構成員の肖像写真を加えても5枚にすぎない。その他多くのジャケ写は、被控訴人又はキング・ クリムゾンの構成員と直接関係しない図柄や絵画、写真等が使用されており、またジャケ写の占める部分は各紙面の4分の1未満に抑えられて いる上、作品概要と解説文が果たす役割の重要性も無視することができないから、ジャケ写がその中心的な役割を果たしているということ はできない。従って、作品紹介の価値の源泉がジャケ写にあるという被控訴人の主張は採用できない。

ジャケ写は当該レコード等の視覚的な側面を担うものとして当該レコード等と一体的に受け止められるようになり、当該レコード等を 視覚的に表示ないし想起させるものとして当該レコード等の宣伝や紹介にも利用される。このようなジャケ写の機能は、ジャケ写が音楽家 自身連想させるという効果は、それが当該レコード等を想起させる効果と対比して減弱されたものと言わなければならない。

本件書籍は、「キング・クリムゾン」及び被控訴人を含む音楽家について収集したその成育過程や活動内容等の情報等を選択、整理し、 その全作品を網羅した情報として愛好家に提供しようとするものであり、作品紹介が中心部分を占め、全ての作品についてジャケ写が 掲載されている。本件書籍の発行の趣旨、目的、体裁、作品紹介の構成等からすると、これらのジャケ写は、いずれもが各レコード等を 視覚面から表示するものとして掲載され、作品概要及び解説と相まって当該レコード等を読者に紹介し強く印象付ける目的で使用されている ものとみるべきであって、被控訴人本人や、「キング・クリムゾン」の構成員を表示ないし印象付けることを主たる目的として使用 されているとみることはできない。また、これらのジャケ写はレコード等の販売宣伝上の機能を有していることを無視することはでき ない。

以上を総合してみると、本件書籍に多数掲載されたジャケ写は、各レコード等を視覚的に表示するものとして掲載され、作品概要 及び解説と相まって当該レコード等を読者に紹介し強く印象付ける目的で使用されているのであるから、氏名や肖像のパブリシティ価値を 利用することを目的とするものであるということはできない。

パブリシティ価値の面から問題となるのは、伝記部分の5枚と作品紹介の扉部分4ページに掲載されている肖像写真にすぎないことになる が、その掲載枚数はわずかであり、本件書籍の発行の趣旨、目的、書籍の体裁等に照らすと、これらの肖像写真は被告人及び「キング・ クリムゾン」の紹介等の一環として掲載されたものであると考えることができるから、これをもって被控訴人の氏名や肖像のパブリシティ 価値に着目しこれを利用することを目的とするものであるということはできない。本件書籍の題号や表紙、裏表紙及び背表紙に使用された 「キング・クリムゾン」の文字は本件書籍で対象としている音楽家を表す記載であり、表紙、裏表紙及び背表紙へのジャケ写の使用も右音楽 家に関する書籍であることを視覚面で印象付ける趣旨で掲載したものであるとみることができるから、これらは、「キング・クリムゾン」に 関する書籍であることを購入者の視覚に訴え、印象付けるものであるということはできても、その氏名、肖像等のパブリシティ価値に着目し、 その利用を目的とする行為であるということはできない。

これに対し、被控訴人は、本件書籍は、被控訴人自身の顧客吸引力を利用するものであると主張するが、著名人の紹介等は必然的に 当該著名人の顧客吸引力を反映することになり、紹介等から顧客吸引力を遮断することはできないから、著名人の顧客吸引力を利用する 行為であるというためには、右行為が専ら著名人の顧客吸引力に着目し、その経済的利益ないし価値を利用するものであることが必要で あり、単に著名人の顧客吸引力を承知の上で紹介等をしたというだけでは当該著名人の顧客吸引力を利用したということはできない。内容的 にも作品紹介の実質を備えているから、被控訴人自身の顧客吸引力に着目し、その経済的利益ないし価値の利用を目的として 発行されたものとみることはできない。確かにジャケ写の占める比重が類似書籍に比べて大きいが、ジャケ写を多用するか否かは全体的 な編集方針の問題であり、写真を多用したからといって直ちにパブリシティ価値の利用を目的としていると断定することはできない。

また、被控訴人は、著名人等の紹介は、その価値が当該著名人の氏名、肖像等の顧客吸引力を下回らない場合に初めて正当な表現活動と して著名人の許諾が不要となる旨主張する。しかし、著名人の氏名、肖像等は元々著名人の識別情報にすぎないから、著名人自身 が紹介等の対象となる場合に、著名人の氏名、肖像等がその個人識別情報として使用されることは当然に考えられることであり、著名人はそ のような氏名、肖像等の利用についてはこれを原則的に甘受すべきものであると解される。顧客吸引力という一面において、氏名、肖像 等の顧客吸引力がその余の紹介等の顧客吸引力を上回る場合も考えられるが、氏名、肖像等の顧客吸引力が認められる場合でも全体としてみ れば著名人の紹介等としての基本的性質と価値が失われないことも多いと考えられるから、その場合には紹介等は言論、出版の自由としてこ れを保護すべきである。従って、肖像等の顧客吸引力と言論出版の自由に関する紹介等を単純に比較することはできず、パブリシティ権の 侵害にあたるかどうかは、他人の氏名、肖像等を使用する目的、方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して、右使用が専ら他人の 氏 名、肖像等のパブリシティ価値に着目し、その利用を目的とする行為であるといえるか否かにより判断すべきものである。

以上のとおり、本件書籍は、被控訴人のパブリシティ価値を利用することを目的として出版されたものということができず、被控訴人 主張のパブリシティ権侵害の事実を認めることはできない

○中田英寿事件(一審)(東京地裁、H12.2.29)

(当事者)

原告:中田英寿
被告:株式会社ラインブックス

(事件の概要)

出版社が本人の承諾を得ることなく、中田英寿の半生記を出版したことに対して、プライバシー権、パブリシティー権、著作者人格 権(公表権)、複製権侵害の訴えを起こしたもの。

@パブリシティ権:侵害しない
著名人は、自らが大衆の強い関心の対象となる結果として、必然的にその人格、日常生活、日々の行動等を含めた全人格的事項がマス メディアや大衆等による紹介、批判、論評等の対象となることを免れないし、また、現代社会においては、著名人が著名性を獲得するに あたり、マスメディア等による紹介等が大きくあずかって力となっていることを否定することができない。そして、マスメディア等による 著名人の紹介等は、本来言論、出版、報道の自由として保障されるものであることを考慮すれば、仮に、著名人の顧客吸引力の持つ経済 的価値をパブリシティ権として法的保護の対象とする見解を採用し得るとしても、著名人がパブリシティ権の名の下に自己に対するマスメ ディア等の批判を拒絶することが許されない場合があるというべきである。したがって、他人の氏名、肖像等の使用がパブリシティ権の 侵害として不法行為を構成するか否かは、具体的な事案において、他人の氏名、肖像等を使用する目的、態様、方法を全体的かつ客観的に 考察して、右使用が他人の氏名、肖像等の持つ顧客吸引力に着目し、専らその利用を目的とするものであるかどうかにより判断すべき ものというべきである。

本件書籍は、表紙、背表紙、帯紙並びにグラビア頁に利用された原告の氏名及び肖像写真については、文章部分とは独立して利用されて おり、原告の氏名等が有する顧客吸引力に着目して利用されていると解することができる。しかし、右のような態様により原告の氏名、肖像 が利用されているのは、本件書籍全体とすれば、その一部分にすぎないものであって、原告の肖像写真を利用したブロマイドやカレンダーなど 氏名、肖像等の顧客吸引力に専ら依存している場合と同列に論ずることはできない。また、著名人について紹介、批評等をする目的で書籍 を執筆、発行することは、表現・出版の自由に属するものとして、本人の許諾なしに自由にこれを行い得るものというべきところ、その ような場合には、当該書籍がその人物に関するものであることを識別させるため、書籍の題号や装丁にその氏名、肖像等を用いることは当然 あり得ることであるから、右のような氏名、肖像の利用については、原則として、本人はこれを甘受すべきものである。

本件書籍における原告の氏名、肖像等の使用は、その使用の目的、方法及び態様を全体的かつ客観的に考察すると、原告の氏名、肖像等の 持つ顧客吸引力に着目して専らこれを利用するものであるとは認められないから、被告らによる本件書籍の出版行為が原告のパブリシティ権 を侵害するということはできない。

Aプライバシー権(プロサッカー選手になる前の個人的な事情):侵害する〜200万円支払え

B著作者人格権(中田が書いた詩の公表権):侵害しない

C著作権(中田が書いた詩の複製権):侵害する〜185万円支払え

○中田英寿事件(控訴審)(東京高裁H12.12.25)

控訴人:潟宴Cンブックス
被控訴人:中田英寿

事案:控訴人が第一審で敗訴したプライバシー権と複製権について控訴したもの

主文:本件控訴棄却

(事案の概要)

控訴人(出版社)の主張

@プライバシー権の侵害について

被控訴人の出生時の状況、身体的特徴、家族構成、性格、学業成績、教諭の評価等、被控訴人がプロサッカー選手になる以前の事柄であっ て、サッカー競技に直接関係しない事実を掲載する行為は、プライバシー権を侵害する旨原判決において判示しているが、プライ バシー権の制約される範囲について、プロスポーツ選手と国会議員等とを区別し、その違いを強調している点は誤りである。被控訴人は プロサッカー選手として、公衆に夢や希望を与え、その生き方や考え方まで強い影響を与えており、公衆の強い関心の対象となっているので あるから、そのプライバシー権は、国民の知る権利の観点からも、国会議員等の場合と同様、一般私人に比べてより広く制約を受けるという べきである。

また本件書籍のように著名人の半生を描いた伝記本は、その地位、名声等を獲得するまでの経過やその人物像、生き方、考え方等を表現 し、これを広く一般人に伝えることを目的とするため、当該著名人の業績結果のみならず、その業績に直接関係ない私生活上の事実が執筆 対象として不可欠となる。しかし、これまで伝記本の出版がプライバシーとの関係で問題となったことは皆無であり、それは、著名人 については、私生活上の事実であってもその公表は許されるべきであると一般に認識されてきたからにほかならない。原判決の考え方に よれば、本人の同意を得ずに書かれることが多い伝記本は存在し得ないことになってしまう。しかも、本件書籍の内容は、被控訴人がプロ サッカー選手になる以前の事柄で、サッカー競技と直接関係がない事実であっても、犯罪歴や特殊な家庭環境、身体的な欠陥、特異な性癖 など特に私事性が強い事柄の記述や被控訴人の私生活上の平穏を害するような記述は一切ない。本件書籍中の各記述は、一般人の感性を基準 として公開を欲しない事柄には属さないから、本件書籍を出版する行為は、被控訴人のプライバシー権を侵害するものではない。

さらに、原判決が、被控訴人がプロサッカー選手になる以前の事柄であって、サッカー競技に直接関係しないと判断した事実も、本件書籍 を通じて表現されるプロサッカー選手中田英寿の重要な構成要素である同人の身体能力、精神力、技術力、判断力そしてサッカーに対する姿勢 、信念等に関連する事項であるから、被控訴人のプライバシー権を侵害するものではない。

A著作権の侵害について
本件書籍に本件詩の全文を掲載する行為が、著作権法32条1項の「引用」に該当せず、著作権の侵害に当たるとした原判決の判断 は誤りである。本件詩の掲載頁の下部に「強い信念を感じさせる」とのコメントが付されていること、被控訴人の姿が被控訴人の精神力や信念について 記述した本文の内容を補足し裏付けるものとして掲載されたものであることは明らかであり、本文と本件詩の主従関係は、本文が主、本件詩が 従である。したがって、本件詩の掲載は著作権法32条1項の「引用」に当たるから、控訴人らが本件詩を本件書籍に掲載した行為は、 著作権の侵害には当たらない。

(2)被控訴人(中田英寿)の主張

@ プライバシー権の侵害について
著名人であっても、みだりに私生活へ侵入されたり、他人に知られたくない私生活上の事実を公開されたりしない権利を有している のであるから、被控訴人がプロサッカー選手であるからといって、直ちにプライバシー権に対する広い制約が許容されるものではない。 国会議員等の公職者の場合にあっては、民主政治の基盤を成す国民の判断の前提となる情報の開示が問題となるのに対し、本件は、私人たる 一サッカー選手に関する情報の開示にすぎないから、両者を区別する原判決の判断は、表現の自由や国民の知る権利に対する十分な配慮に出 たものにほかならない。

また、控訴人ら主張のように、プライバシー権の保護の対象が、犯罪歴や特殊な家庭環境、身体的な欠陥、特異な性癖など特に私事性が 強く、当人の社会的評価を低下させるような事実に限定されるものとすれば、プライバシー権の保護は無意味となるが、そうであるとしても、 原判決がプライバシー権の侵害を認めた公表事実は、いずれも私事性、秘匿性の高い事実に属するべきというべきである。

さらに控訴人らは、原判決がサッカー競技と直接関係がないとした事実も、プロサッカー選手中田英寿の重要な構成要素である同人の 身体能力等に関する事項であるとして、プライバシー権の侵害を否定する。しかし、プロサッカー選手としての個人も、すべて私的生活の うえに成り立っており、私生活上の事柄は、ある意味で、すべてプロサッカー選手としての身体能力、精神力、技術力、判断力、サッカーに 対する姿勢、信念等に関連する事項であるということができるから、控訴人らの見解に従えば、サッカー選手のプライバシー権を保護する 余地がほとんどなくなるという不当な結果を招くことは明らかである。

A 著作権の侵害について
本件詩は被控訴人の自筆の原文がそのまま複製されていることからすれば、本件詩は、それ自体鑑賞性を持ったものとして独立しており、 本件詩が主、本文が従の関係にあるというべきである。

(3)裁判所の判断

@ プライライバシー権の侵害について
表現の自由は民主主義社会において極めて重要な意義を持ち、民主政治の基盤を成すものであるが、その保護の観点から、どの程度、 範囲において個人にプライバシー権の制約を受忍させることを正当化することができるかを考えた場合に、被控訴人のようにプロサッカー 選手として公衆の関心の対象となっている個人に関する情報を公表する行為と、国会議員等の公職者やこれらの候補者に関する情報のように、 国民の政治的意思決定の前提となる情報を公開する行為とを同列に論ずることはできないのであって、控訴人らの右主張は失当というほ かはない。

次に控訴人らは、著名人の伝記本においては、その業績に直接関係ない私生活上の事実の公表も許されるべきであると一般に認識されて いる旨主張する。しかし、本件書籍以外にもプロサッカー選手の半生やその考え方等を紹介した書籍が多数出版されているが、その大部分は、 当該選手がインタビューに答えたり、自分の文章を載せるなどしてその出版に協力しているものであること、例外的に本人の承諾なく出版販売 が企画された「ミスターJリーグ武田修宏」と題する書籍については、当該選手からパブリシティ権に基づいて書籍の出版販売頒布の禁止等を 求める仮処分が申し立てられた(結果は被保全権利の疎明を欠くとして却下)ことが認められる。右事実に照らすと、本人の同意なく、 プロサッカー選手の私生活上の事実を公表する伝記本の出版をすることが、社会通念上一般に許容されているとは到底言い難い。

また、控訴人らは、本件書籍には、犯罪歴や特殊な家庭環境、身体的な欠陥、特異な性癖等の私事性の強い事柄に関する記述はないから、 プロサッカー選手になる以前の事柄で、サッカー競技に直接関係のない事実であっても、一般人の感性を基準として公開を欲しない事柄では ない旨主張する。しかし、本件書籍には、被控訴人の出生時の状況、身体的特徴、家族構成、性格、学業成績、教諭の評価等に関する記述が 含まれていることは前示のとおりであり、その内容が、控訴人らの例示する犯罪歴等を含む記述ではないとしても、私事性の強い被控訴人 の私生活上の事実であることに変わりはなく、一般人の感性を基準として公開を欲しない事柄に属するというべきである。

さらに、控訴人らは、原判決がサッカー競技と直接関係がないとした事実も、プロサッカー選手中田英寿の重要な構成要素である同人の 身体能力、精神力、技術力、判断力、そしてサッカーに対する姿勢、信念等に関連する事項であるから、プライバシー権を侵害するものでは ない旨主張する。しかし、プロサッカー選手としての個人が同時に私生活を営む一私人でもある以上、選手としての身体能力、精神力、 技術力、判断力等の要素は、同人のすべての身体的、人格的な側面と関連するから、このような事項を公表してもプライバシー権の侵害は 成立しないものとすれば、事実上プロサッカー選手には保護されるべきプライバシー権がないというに等しいこととなるが、そのような広範 なプライバシー権の制約を受忍させるべき合理的な根拠は見出せない。

A 著作権の侵害について
控訴人らは、本件詩は、被控訴人の強い精神力や信念について記述した本文の内容を補足し、裏付けるものとして掲載されており、 本文に対して従の関係にあるから、著作権法第32条1項の「引用」に当たる旨主張するが、本件詩については、被控訴人の自筆による 原稿が写真製版によりその全文をそのまま複写する形で掲載されていること、本件書籍の本文中に本件詩について直接言及した記述 が一切見られないこと等の前示の認定をも考慮すると、本文と本件詩の主従関係において、前者が主、後者が従と認めることはできない。 そうすると、本件詩の掲載が著作権法32条1項に言う「引用」に当たるということはできず、被控訴人の著作権を侵害するというべきであ る。

○マークレスター事件(東京地裁、S51.6.29)

事案:映画の主演者が、主演者に無断でその映画中の「肖像」をテレビコマーシャルに提供した映画の上映権・宣伝権を有する会社に対して 、主演者の肖像・氏名についての利益を侵害したとして、損害賠償請求したもの。

(1) 氏名及び肖像に関する利益の法的保護
人がみだりにその氏名を第三者に使用されたり、又はその肖像を他人の眼にさらされることは、その人に嫌悪、羞恥、不快等の精神的苦痛 を与えるものということができる。従って、人がかかる精神的苦痛を受けることなく生きることは、当然に保護を受けるべき生活上の 利益であるといわなければならない。そしてこの利益は法の領域においてその保護が図られるまでに高められた人格的利益という べきである。かような人格的利益の法的保護として、具体的には違法な侵害行為の差止や違法な侵害に因る精神的苦痛に対する損害賠償が 認められるべきであって、民法709条にかかる違法な侵害を不法行為と評価することを拒むものと解すべき根拠は存在しない。

(2) 俳優等の氏名、肖像に関する利益
俳優等が自己の氏名や肖像の権限なき使用により精神的苦痛を被ったことを理由として損害賠償を求め得るのは、その使用の方法、 態様、目的等からみて、俳優等としての評価、名声、印象等を毀損若しくは低下させるような場合、その他特段の事情が存する場合 (例えば自己の氏名や肖像を商品宣伝に利用させないことを信念としているような場合)に限定されるものというべきである。 しかしながら、俳優等は、人格的利益の保護が縮減される一方で、一般市井人がその氏名及び肖像について通常有していない利益 を保護しているといいうる。すなわち、俳優等の氏名や肖像を商品等の宣伝に利用することにより、俳優等の社会的評価、名声、印象等が、 その商品等の宣伝、販売促進等に望ましい効果を収め得る場合があるのであって、これを俳優等の側からみれば、俳優等は、自らかち得た 名声の故に、自己の氏名や肖像を対価を得て第三者に専属的に利用させうる利益を有している。氏名や肖像が人格的利益とは異質 の独立した経済的利益を有することになり、俳優等は、その氏名や肖像の権限なき使用によって精神的苦痛を被らない場合であって も、経済的利益の侵害を理由として法的救済を受けられる場合が多いといわなければならない。

○スティーブマックイーン事件(東京地裁、S55.11.10)

事案:映画の主演者が、主演者に無断でその映画中の「肖像」をタイアップ方式の宣伝広告に提供した映画配給会社と宣伝広告を実施した 会社に対して、主演者の肖像権等を侵害したとして損害賠償請求をした。

不法行為の成否:被告東宝は、本件各広告をあくまで本件映画の宣伝広告の一環として企画実施したものであり、本件各広告は、 その内容、性質等において被告松下及びヤクルトの商品宣伝であると同時に本件映画の宣伝でもあるタイアップ方式による広告であって 、被告東宝とCBSとの契約条項に抵触するものではないうえ、その方式、方法等において、わが国におけるタイアップ方式による広告の 従来からの慣行に従ったものであり、これらの点を考え併せれば、本件各広告が商品広告でもある一事から直ちに原告の肖像写真を使用する についてその承諾を要するものとはいえないのであり、むしろ本件各広告が被告東宝のCBSとの契約基づく権限内の行為として CBSから許容されてこれを実施に移したものであると認められる。

○土井晩翠事件(H4.6.4)

事案:私人土井晩翠の相続人が「晩翠」「晩翠草堂」「晩翠通」「晩翠草堂前」の表示のある標識等を設置した仙台市に対して、 その相続人又は晩翠のパブリシティの権利を侵害するとして、侵害行為の差止及び損害賠償請求をした事件

パブリシティの権利とは、歌手、タレント等の芸能人が、その氏名、肖像から生じる顧客吸引力のもつ経済的利益ないし価値に対して 有する排他的財産権であると解される。詩人は、一般に詩作や外国の文学作品を翻訳するといった創作活動に従事し、その結果生み出 された芸術作品について、社会的評価や名声を得、また印税等として収入を得る反面、氏名や肖像の持つ顧客吸引力そのものをコントロール することによって経済的利益を得ることを目的に活動するものではなく、また、その氏名や肖像が直ちに顧客吸引力を有するわけではない。 晩翠が生前、自己の指名や肖像の持つ顧客吸引力により経済的利益を得、または得ようとしていたとは認めることはできないから、晩翠の 氏名、肖像等についてパブリシティの権利が発生するとは到底認められない。しかも本件で問題とされているのは、いずれも案内板やバス停 標識の設置といった行為であって、このような行為は氏名を用いられた者の知名度を高めこそすれ、その顧客吸引力を損なうことはなく、 また名称使用によって無断使用者の側に不当な利益が生じる反面、本来の権利者に損害が生じるという問題も発生しない。