第39回芥川賞

中村光夫「無名の新人発見を」

 山川方夫氏の「演技の果て」は、作者の細かな神経が、狭い世界に頭をつっこんだ独りよがりから脱出すればよい作品になるだろうと思われます。

丹瀦カ雄『「飼育」を推す』
 今回の八篇の作品の中で真向から情事を描いていたのは、一篇だけであった。「演技の果て」誰かがこの作品を極力推薦していたが、審査の席上では、たぶんそういう扱いを受けるだろうと私が予想していたような扱いをうけて失格した。石川君が少し支持していたように覚えているが、情事を描いた小説の運命はいつも似たような結果になる。これまでの審査にも度々そういうことがあった。このことは情事を描くことがむつかしいということにもなるが、それよりも先ず情事が描かれているというだけのことで一種あいまいな拒絶の作用をひきおこすものらしい。当選の場合は、よほどそのものが秀れている場合に限るのだ。つまり材料でとくをするということは絶対にあり得ない。

瀧井孝作「未熟な作の中で」
 山川方夫氏の「演技の果て」は、ある劇団の女優の自殺の話だが、一寸うまいような所もあるが、芯のしっかりしない、グニャグニャの弱い所もあった。もっと成長をまつ。

井上靖「いっぱいの初々しさ」
 山川方夫氏の「演技の果て」は、気の利いたしゃれたものを覘っているが、余りにも持って廻りすぎており…

宇野浩二「銓衡の経緯」
 『演技の果て』は、仮に「演技」がある程度までは書かれてあるとしても、(ダ、)終りの方で「腰くだけ」しているので、失敗作というべきであり、…


第40回芥川賞


中村光夫 「不作」
 なかで山川方夫氏の「その一年」は現代風俗のなかに感傷的な青年を描いて、幼稚ながらもひとつのまとまりを見せ、一番確実に作者の才能を感じさせます。しかし「海の告発」はこの才人が才に倒れる危険を暗示しているので、見込みで強く推すわけにも行きませんでした。こんな躊躇をむだだったと思わせるような作品を書いて欲しいと思います。

瀧井孝作 「新鮮味」
 山川方夫氏の「その一年」は、少年の情緒を描いて、情調ムードの出たもので、このアートはよいが、すこし弱いかと思った。この人の「海の告発」とか、前回の「演技の果て」など、技巧のゴタゴタした作よりは、この「その一年」の方がよいと思った。

丹瀦カ雄 「感想」
 「その一年」「海の告発」の山川方夫には、観念的なお化粧が目につく。「その一年」の主人公を深刻がらせているが、深刻さがいっこうに響いて来ない。「海の告発」の新聞記者は要らない。記者を抜いたら、或いは作者の書きたいところが素直に出たかも知れない。

舟橋聖一 「該当せず」
 選考の席上では、私は、どうしても授賞作を出すなら、山川の「その一年」を推したいと云ったが、「海の告発」が流行の新聞記者ものであるばかりでなく、構成にも難があるので、その減点のため、「その一年」の評価が何割か割引されたことは事実だった。

石川達三 「二,三の疑問」

 山川君の作品は「その一年」の方がいいが、「海の告発」がつまらないのでマイナスになった。「その一年」も米軍キャバレの描写、出てくる日本人の女などが薄っぺらである。この人はもっと重厚な作品を心掛けるべきだと思う。

川端康成「左翼文学の佳作」
 山川氏の「その一年」はところどころいいと思った。

井上靖「推す作品なし」
 山川方夫氏「その一年」は、この作者のいい面が素直に出た作品であったが、受賞作とするには弱く、同氏の「海の告発」の方は、構成ががたぴししている上、氏の持つ悪い面が出た作品だと思う。

永井龍男「選評」
 山川方夫氏の「この一年」「海の告発」は、二作であることが、却って持てる才能を集中していないような読後感を与える結果になった。


第45回芥川賞


中村光夫「優劣なし」
 山川方夫氏の「海岸公園」はなかで際立って技巧的にすぐれ、題材も作者に切実なものと思われるので、弱いところはあっても当選に値するのではないかと思いましたが、席上反対論は意外に多く、それを撥ねかえせない弱点が、この作品にあることは認めないわけには行きません。前半にくらべて後半の薄手なこと、主人公の自己省察が暗く鋭いようで実は甘いことなど、欠点はいくらでもあげられます。しかしそれらを認めても、これを越えて当選させたい作品は他に見当たらないというのが僕の気持ちでした。

丹瀦カ雄「象徴的な作品」
 山川方夫君の「海岸公園」では、後半のサワリが大きな疵になっている。サワリの配分の仕方が拙かったのではないか。こうした材料となると、つい書きすぎてしまう危険がある。作者はこれだけでも書き足りなく思っているだろうが読者はまた別な見方をするものである。が、前回の芥川賞の作品よりはこの作品の方が上だと思った。

瀧井孝作「技倆幼稚」
 予選作七篇中では、山川方夫氏の「海岸公園」が比較的に佳いので、また山川氏のものは以前に一寸佳いものもあったので、僕は山川方夫氏を採ろうかとも考えた。
 以上のこと、僕は委員会に、手紙で申し出ておいたが、強いて採ることはせず、今回はナシと云うことにきまったらしい。
 それで、この予選作七篇の寸評を云うと。
 山川方夫氏の「海岸公園」は、家庭のいざこざの話だが、各々の性格もよくわかり、若々しい明るい文体が佳いと思った。しかし、くだくだしい所もあるようで、もう一度書き改めると尚よくなるかと思った。

井上靖「選後に」
 山川方夫氏の「海岸公園」は最後まで残ったが、私にはこの作家のものとしては格別これがいいとも思われなかった。すでに受賞作家としての力量は具えている人で、人にやるなら当然この作家であるが、作品で決めるとなると、これが他をぬきんでている出来栄えとは言えなかった。

川端康成「考えさせる作品」
 私は旅先から一、山川方夫氏の「海岸公園」、二、大森光章氏の「名門」、宇野鴻一郎氏の「光りの飢え」と、電報だけは打っておいた。
 山川方夫氏は前に幾度か候補に上った作家のように思う。今度の「海岸公園」は、九十歳になる祖父を、その祖父の望みで祖父の妾の家へ預けに行くという題材に、いわゆる肉親の絆など頼むに足らぬ点、むしろいやな点を突き、人間不信、虚無寂莫も出ている。手なれた書き方であるけれども、もっと落ち着いた、あるいは肌理こまかに緊密な書き方をしたらどうであったろうか。
 しかし、候補作のうちでは、私はこの作品に考えさせられた。

舟橋聖一『「名門」は成功』
 山川方夫氏の「海岸公園」。
 山川は既に、芥川賞を受けたも同様の古株で、それが第三作を書いて、特にどうということもない。月並な出来という印象だ。当選作とするには、今一息物足りない。この前のときに、半星でもいいから、授賞すべきであったと思う。
 その点では同情できるが、同情で授賞するわけには行かない。

佐藤春夫「当選作なしの理由」
 「海岸公園」の作者は、この賞の万年候補であるが、わたくしのおぼえている山川方夫はもう少し力量のある作家であった。「海岸公園」は力作である。そうして力一ぱいの仕事の無理で彼の力量の底が見えた感じの拙劣さである。この一作は前半だけに力を集注して後半は前半のなかに書き込んでその冗漫を免るべきではなかったろうか。
 せっかくの材料を料理しそこなったかに見える憾が多かろう。僕はいただかない。

井伏鱒二「感想」
 はじめに進行係の人が、岡田みゆきの「石ころ」はどうするか、とるかとらないか、順次に意見を述べてくれと云った。これに対して私は、とにかく自分は山川方夫の「海岸公園」をとりたいと云った。とると云っても、除くという意味でなくて「採用」のとる意味だと云った。自分はこの作品を推すと云った。
 あとになって、これは素直な発言でなかったと思った。
 進行係としては、予選通過作品を慎重に一篇ずつ銓衡して行きたいつもりであったろう。いつもそうであったし、それでよかったことである。だから、こちらは辛棒づよく「海岸公園」を銓衡する番が来るのを待っていればよかった。
 私は、あせりすぎていて智恵のないことであった。無論、誰だって「海岸公園」のうまさは認めている筈である。
 ただ、別の意味で、これに匹敵する作品が多すぎた。
 井上君は「繭」を推すと云い、永井君は「光りの飢え」を推すと云い、舟橋君は「名門」を推すと云った。
 それも尤もだと思われた。まさか三篇とも一度に入賞というわけには行かないだろう。今度は運が悪かったと云うのが通じての意見だが、いずれにしても自分は発言の仕方を早まった。−以上が、会が終って数日後の本日の私の感想である。 

永井龍男「奇妙な結果」
 「光りの飢え」「海岸公園」「名門」の三篇に、委員の票が散った。散ったために、受賞作品なしという結果を生じた。
 運不運を強く感じると同時に、何か腑に落ちないものが私の心に残っている。三篇とも過去の芥川賞の水準に達していると信じるからである。…
 「海岸公園」は、七篇の候補作の中もっとも確りした手腕である。緊密に計算された私小説風な組立てに敬意を表するが、芥川賞としてはやや更けた印象である。この作者はすでに充分に一人前なのだ。


第51回芥川賞


中村光夫「若さの唄」
 山川方夫氏の「愛のごとく」は、技術としては格段にすぐれていながら、作者が文学の世界に迷い込んでいるような物足りなさを感じさせます。才能ある者の陥る危険な穽で、氏がここから脱けでることを期待します。

高見順「病床の感想」
 次に私が心をひかれたのは山川方夫「愛のごとく」である。愛の不在が現代的象徴とされている今日、まさにその今日的な青年が、愛するに値しない女を愛してしまうこの小説は、特に最後において強烈な印象を私に与えた。それだけに自己の異常を説得的に説明しようとしているはじめの部分が私にはいささか気に入らない。

瀧井孝作「立原氏の文章」
 山川方夫氏の「愛のごとく」は、図式的の性小説のようで、私は好きにはなれなかった。

永井龍男「本来の短篇を」
 「愛のごとく」は山川方夫氏の持ち前を生かした代表的な作品かと思う。美点も嫌らしさも、巧みさも思い上りも(人生上の)、すべて縒り合わせて独自の作品を成している。すでに数冊の作品集を出している作者が、候補作なぞということで騒がれるのは、迷惑なことかも知れない。

舟橋聖一「柴田・山川・立原・坂口」
 山川の「愛のごとく」には、愛のようでいて愛のようでない男女の房事を主題にしたもので、彼の前作「演技の果て」や「海岸公園」などより、肚のできた作品だが、やや悪達者な点があって、一委員のごときは、彼を巧みな売文業者と極めつけた。山川がそれを聞いてがっかりするようなら、そういう選考風景は書かないほうがいいが、それに反撥して、浴びせかけられる非難を押し破れるようなら、これも鞭撻の一つと思って書いておく。